まあ、色んな物事には「理由」がある。

 それは何かの原因だったり、動機だったりする。

 …じゃあ、「理由」が「理由」と名付けられた「理由」は、一体なんだろう?








理由










「祐一さん…一つ、聞きたい事があるんですけど…」

 事の発端は、放課後帰りがてらのデートの途中だった。
 この日も、特に当ても無く二人でぶらぶらと歩いていた。昨日も一昨日もそんな事をしていた。
 ただ、今日は少し違っていた。
 …いや、いつも話している事が同じとか、そういう事を言ってるんじゃなくて……何となく、栞の雰囲気がそう語っていた。

「…なんだ? バケツに入ったようなアイスはもう沢山だぞ」
「あれはしばらくいいです」
「…しばらく、なのか…」

 という事はしばらくしたら我が財政を圧迫しかねないな、とか少し落ち込んでいる俺を意に介せず、栞は自らの質問をぶつけた。

「祐一さんは、どうして私と付き合い始めたんですか?」

 当たり前の質問。
 しかし、こうも唐突に言われると返答に困る。……だが、前もって「明日訊くからね」って言われても困る。
 付き合い始めると気にならなくなる、その動機。

「…と、言われてもなあ…」

 思わず、声が漏れる。
 やばい。
 栞の顔を見ると、心なしか少し不機嫌そうだ。
 だけど俺はその言葉に詰まったまま、いつも別れている交差点に着いてしまった。






『何となく付き合ってるんですか? …それとも…』

 交差点で別れるとき、栞が言った言葉だった。最後の方は、栞も言葉を詰まらせた。
 でも多分、言いたかった言葉は…。

『…私が、病気だったからですか?』

 …別に、病気だったから好きになったわけじゃない。
 栞が護ってやりたくなるような奴だから?…いや、それは病気の頃の栞を彷彿させる。その頃と、今の栞は違う。
 だけど、その頃の栞があるからこそ、今の栞がある訳で……じゃあ、それを理由にしてもいいんだろうか?

「…むぅ」

 ごろんと寝返りを打つ。
 ベッドの上に広がる天井は、じっと見ていると少しずつ下がって来ている様な気がする。…もちろん錯覚で、圧迫されているように見えるだけなんだが…。

「はあ…気が重いな…」

 さっきから、考えがぐるぐると回っている。

「…俺は……栞のこと、どう思ってるんだろうか…」

 栞は大切な存在。
 …どんな風に、大切な?
 大切は……大切さ。






 祐一が悩んでいる頃、栞の方はというと…

「祐一さんの、バカ…」

 …完全にむくれていた。
 栞としては、軽い気持ちで聞いてみたつもりだった。
 しかし、祐一のはっきりしない返事のせいで、栞の心に不安がよぎっていた。
 はっきり言って、栞は自分の体型に自身がある訳ではない。むしろ、コンプレックスさえ抱いている。…ただ、栞の体格は小柄なだけで特にどこが悪いという訳ではないのだが…。
 それに…祐一に言おうとしてしまった言葉。
 祐一が今までの付き合いから惰性で付き合ってくれているのではないか……そんな事を考えてしまう。確かに栞は、手術で傷ついた身体に、薬の副作用で完治するのに時間のかかる身体の不調…他人からすれば色々面倒なものを沢山抱えている。それでは、栞も疑問を持たざるを得ない。

「…適当に好きな理由を言ってくれるだけでも、良かったのに…」

 ぼそ、と呟く。
 思わず呟いた事でも、静かな部屋では際立つ。
 栞は、自分は祐一の事をどれだけ好きか、ちゃんと言える自信がある。死の病を頑張って克服したのも祐一を拠り所にしたからだし、それからの祐一との生活も掛け替えの無いものとなっている。

「…何でだろう」

 まあ、こういう時は年長者に聞くもの。
 だけど、親は今出かけているし、そんな事相談したくない。
 …と、自動的に。




「……思いっきり笑っていいかしら?」
 
 開口一番言われた。

「…なんでさ」
「栞は、相沢君が何で言葉に詰まったか本当に解らない訳ね?」
「うん」
「じゃあ……栞は、相沢君の事なんで好きなの?」
「え?」
「だから、栞が相沢君の事を好きな理由」
「…えっと…」
「今更隠すような事でもないじゃない」
「そうなんだけど…」
「さっさと言いなさい」
「あのね………まだ病気を克服したのも祐一さんが居たからだし、今も祐一さんのいない生活なんて…考えられないから」
「ふーん…」

 香里は流す様な相槌を打った後、少し黙る。

「…何が言いたいの?」
「…ねえ栞、あなた……冬の時の自分を、どう思う?」
「え?」

 栞が、質問の意図をつかみかねて頭をかしげる。

「…あたしは、すべてを遠ざけていたかった。流石に教室では愛想良くしていたけど、それも社交辞令の様なものでしかなかった」
「お姉ちゃん…」

 それが、冬に香里が栞にしたこと。
 そう、あれがなければ、もしかしたら栞と祐一は出会う事すらなかったのかもしれない様な、重大な出来事。

「あの時、あたしはあなたの事を想って色々訊いてくる相沢君に刺激されて、鬱屈した気持ちが支えられなくなったわ。結局、その時は相沢君に支えてもらった訳だけど…」

 一言、言葉を区切る。

「…栞の様な『好きな理由』なら、あたしが相沢君を好きになっても良い、って事かしら?」
「えっ!?」
「だって、あなたが相沢君を好きな理由は、『支えてくれて、優しく包んでくれるから』って事でしょ? それなら、あたしも当てはまるわ」
「えぅ…そ、そうだけど…」
「…『好き』っていうのは、どんな感情を言うの?」
「え?」
「あたしは、まだそう言い切れる様な感情を抱いた事はないから。…相沢君に、似た様な感情を抱いた事はあったけどね」
「お姉ちゃんっ!」

 栞が顔を真っ赤にしていきり立つ。
 からかい目的だった香里は至って冷静な顔だ。

「…別に、あなたから大切な大切な『祐一さん』を取る気はないわよ。……ただ、あなたの言ってる『好き』って、どんなものかな…と思ってね」
「うーん……私の場合は『落ち着く』からかなあ…」
「あれだけ遊ばれてるのに?」
「……うん。結局は、私の事心配してくれてたり、色々気を使って言葉を選んだりしてるみたいだし」
「あたしには、口から出任せばかりな気がするけどね」
「まあ、そうかもしれないけど…一応フォローしてくれるし」
「…で、本題に戻るけど……あなたたちは一度別れてからまた会うまで、一月は充分空けてたわね?」
「うん。それは、お姉ちゃんもよく知ってるでしょ?」
「ええ。それで…もし、その一月の間に彼の環境や性格が変わっていたら……あなたが『好きだ』と言う事柄に大きく関係するものが変わっていたら……あなたは、彼の事を『好きだ』と言える?」

 栞も長い入院生活の所為で、学校で習う勉強については他の生徒より遅れるものの、頭の悪い方ではない。しかも、栞は香里の妹なのだ。何を意図したいのか、大体判る。
 姉が自分に何を言いたいのか…つまり、姉は自分と彼氏の立場を逆転させて答えてみろと言っているのだと理解した。
 自分が最近変わったこと。
 …そんなもの、一つしかない。
 じゃあ、やっぱり…。

「はい、ストップ」

 突然の声で、栞の思考が中断される。

「今、何考えてた?」
「え? ぼーっとしてた?」
「…相沢君の理由が、栞が病気だったことが大きく関わってる、って考えたでしょ」
「……うん」
「でしょう? だから相沢君は何も言わなかったのよ」
「え? …どういうこと?」
「だから、その時そんな事を漏らしてしまったら、栞と喧嘩になって、下手したら解り合えないまま会えなくなって…とか考えたんでしょう」
「そ、そんな…私そんなことしないよ」
「栞に火がついたら止まらないの、相沢君に見破られてるわね」
「結局…祐一さんはどんな『理由』を言うつもりだったのかな?」
「知らないわ。ただ…」

 姉は一呼吸置いてから、妹にこう告げた。

「理由なんてものより……結局のところ、好きか嫌いか、それだけを再確認すればいいことじゃないの?」





『それじゃああたし、勉強があるから。どっかの誰かの彼氏みたいに、誰かさんにかまけて勉強を疎かにしている訳にはいかないわ』

 そう言って、私は姉に部屋からたたき出されてしまった。
 そのまま部屋には戻らず、一階の冷蔵庫からバニラアイスを取ってきて、食べながら考える。

 もう、祐一さんが何を言いたかったのかは考えない事にした。多分、そんな事を今しなくてもいつか相手から話してくれるだろうし。
 …それよりも、自分の事。

「私が、祐一さんを好きな『理由』……」

 一度会えなくなって、暫くしてからも祐一さんの事が好きだった『理由』。
 病気も何も関係ない、ただ個人としての……「美坂栞」が「相沢祐一」を好きな『理由』。

「………難しい、というか無理」

 前者は、突き詰めて考えていくしかない。だけど後者は……経験したことから目を背けたら、今までの積み重ねである自分を否定することにしかならない。けれど、祐一さんは私の為を思ってどう言おうか考えているんだろうか。
 …祐一さんにはちょっと悪い事をしたな、と思った。






 いつもの様に校門で待つ。
 多分、彼は悩みに悩んで、何かを言ってくれるのだろう。
 だけど、あんまり答えを期待している訳じゃない。これは、軽い気持ちで訊いた質問なのだから。
 それよりも、私は祐一さんに対して怒らなきゃいけない。
 祐一さんは、私との大切な思い出を消そうとしているんだから。うん。

 昇降口に、祐一さんの姿が見える。
 私は、走り出す。


「祐一さんっ」






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