強い日差しが肌を焦がす。優しく頬を撫でるそよ風が、青々と輝く木々の調べを運び、草花の奏でる唄を人々の元に届ける。
 辺りを見回せば、麦藁帽子を被った少年が蝉でいっぱいになった虫篭を自慢げに掲げ、水着入れを手にした少女達が楽しげに談笑している。そう、今はそんな季節。夏休み。
 そんな中を制服姿の少女が一人。夏服とはいえ、真夏の太陽は容赦なく少女に降り注ぎ、少女は少しでも暑さから逃れようと胸元を僅かに引っ張り、扇ぐように蒸れた空気を外に出す。と、同時に手にしていたアイスキャンディーをぺろりと一舐め。気持ちよさそうに顔を綻ばせた。

「今日は部活、早く終わってよかったな……」

 緩んだ表情はそのままに、少女は一人ごちる。そして、最愛の人がいる我が家へと思いを馳せた。今頃、兄である勇は何をしているのだろうか。多分、今日は休みだと言っていた姉や妹と楽しい休日を過ごしている事だろう。相変わらず、馬鹿な事を言った兄を姉が呆れて憎まれ口を叩き、妹が喧嘩し始めた2人を止めようとおろおろしている、そんな風景。どこまでも幸せな、毎日の情景。ただ、惜しくらむは今、その場に自分がいないことだろう。少し寂しい。そして、少女は歩くスピードを速めた。
 少女の自宅は元々躰が弱かった彼女の事を考慮して、さほど学校から距離が離れていない所に建てられていた。走ってしまえば、ものの数分で着く。だが、少女はそれでも走ろうとはしない。昔、それで倒れた苦い経験があるのだ。今は当時に比べて、格段に体力がついたとはいえ、油断は出来ない。急がば回れ。少女の中の真理。
 そうこうしている内に、ゆっくりと我が家が見えてきた。と、家の前に見慣れた人影が。

「あ、彩お姉ちゃん。おかえりなさーい」
「どうしたの? こんな所で……」
「んーと……ちょっと涼みに……」
「涼む?」

 訊き返すと、ななるは莞爾と微笑んで、同意とばかりに大きく頷いた。頭上には夏真っ盛りの太陽が容赦なく辺りを照りつけ、その被害を最も被っているアスファルトは、悲鳴を上げるように、その身から陽炎を立ち上らせている。ようするに、一言で表すと暑い。確かにななるが立っている場所は日陰であったが、それでも立っているだけでじんわりと汗が滲んでくるほど、今日の太陽は真夏の色に染まっていた。

「……ここ、暑いよ」
「ううん。涼しいよ」

 気持ちいいくらいの即答。なんとなく返答に困る。

「……そうなんだ。それじゃ、ななるちゃん、私、家に入るから」
「うんっ」

 いつも以上の笑顔をみせるななるに、彼女は何やら腑に落ちない表情を浮かべながらも、玄関の扉のノブを回す。

「……あのね、彩お姉ちゃん」

 ん? と、相槌を返しながらも、ゆっくりと扉を開く。

「只今の室内気温80℃☆」
「え?」

 と、時既に遅く、扉から漏れた爆発的な熱風に押され―――。
 少女――彩はその場で気を失った。








 遡る事、3時間前。

「暇だねー」
「暇ー」
「おおっ。暇なのか。だったら、えっちしよう。えっち」

 暇を持て余した千夏とななる、そして勇の声が、付けっぱなしのテレビから漏れる雑音を掻き消すように辺りに響く。若干一人例外こそいるが、総じて気だるげな表情。まるで、午睡のまどろみの中にいるような、そんな雰囲気が室内を満たす。こらまた、ある一部分を除いて、の話だが。
 とりあえず、二人は一人何やら荒く猛っている勇を「はいはい」と軽く受け流すと、再びソファーの上にごろんと横になった。ちなみに、まったく相手にされてない勇はと言えば、猛々しく突き上げた拳の行き先を床の上に設定すると、寂しげにのの字を描き始めている。
 季節は夏真っ盛り。学生たる三人は既に夏休みという名の楽園に突入していたが、部活動をしている人にとってはあまり暇な時間というものはない。またまた若干一名、部活動の部の字にすら縁のない男がいたりするが、彼もまた、自分の趣味、というか生き様の為に暑く魂を燃やしてたりした。
 しかし、今日は珍しく水泳部もチアリーディング部も終日休み。それにより、彼女らは暇を持て余していた。折角の休みだし遊びに行けばいいとは言うなかれ、一人だけ放っておいて、遊びに行くという訳にもいかないのだ。
 という訳で、暇だった。完膚なきまでに暇だった。

「暇だね」
「うん。暇」
「あやっ。こんな所にブルマがっ。うむ。これは我々にセックスしろという神の思し召しに違いない」

 わざとらしくブルマを掲げて、なんか言っている勇。それに対して、二人は反応すらせず、脱力したままテレビに視線だけ向けている。そんな二人の様子に、勇は突っ伏して、さめざめと涙を流し始めた。
 再び会話が止まる。今日一日でどれくらいこれと同じやり取りをしただろうか。なんとなく、数えておけばよかったと千夏は思った。ようするに、そんな事までしたくなるほど暇なのだ。暇暇。

「ねぇ、兄ィ」
「……なんだよ」

 ちょっと拗ねた様子の勇が口を尖らせながら、千夏に言葉を返す。

「なんか面白い事ない?」
「だから、言ってるだろ。れっつぷれいせーっくすっ」
「いや、もうそれはいいから……」
「あーゆーせっくす?」
「……いや、その場合、『どぅーゆーぷれいせっくす?』だと思うよ」
「『Let's play sex, shall we ?』じゃないかなー」

 年上二人は英語が苦手であった。

「あーもーとにかく、エッチ以外になんかないの? 兄ィ」
「あのなぁ。朝、プール行こうって誘ったのにあっさり断った奴の言う事じゃないぞ」
「そんなん断るに決まってるよ。彩が可哀相だし……。それに第一、その前に言った言葉、覚えてる?」
「はてはて、記憶に御座いませんなぁ」
「ボクは覚えてるよ。『新開発の水着ブルマを試したいんだ。という訳で、これ着ろ。強制』って言葉っ」
「ったり前だ! 俺があれを開発するためにどれほど血と涙と時間と精液を浪費したと思ってる!?」
「そんなのボクには関係ないよっ。というか、精液ってナニっ!? もしかして、プールでするつもりだったの?」
「……いや、まあ、その話はおいおい、な」
「うっわ、サイテー。変態ー」
「ぷじゃけるなよ、てぃなとぅ。というか、お前だって前にプールでヤった時は散々悦んでただろーがっ。やーい変態」
「よ、悦んでなんかないよっ。第一、ブルマ至上主義の兄ィに変態なんか言われたくないっ」
「そうそう。人はそうして自分の罪を他人に押し付けるのですよ。聞きました? 奥様。やーねー」
「ううーっ。兄ィの変態。変態。変態っ」
「変態って云う奴が変態なんだよーん」
「お、お兄たんも千夏お姉ちゃんも声が大きいよ。ただでさえご近所から白い目で見られてるのに……」

 必死になって止めに入ったななるの声に押されてか、二人の怒声がぴたりと止む。気持ちが通じたと思い、ほっと安堵の表情を浮かべた。
 だが……。

「だったら、ななるが何か暇潰し案出してよ」
「寧ろ、今から一緒にプール行くか? ななるちゃん。水着指定あるけど」
「えと……ええと……」

 思いっきりななるに絡む二人。ここぞとばかりに息を合わせた勇と千夏の様子に、ななるは思わずたじろぐ。

「へぇー。もしかして、ななるも兄ィと一緒でエッチで暇潰そうとしてる? 変態? 色情?」
「大歓迎だぞ、ななるちゃん。寧ろ、プールに穿いていくのは俺の開発したブルマじゃなくって、自分のブルマだったりなんかする桃色新境地を編み出そうとしているその心意気には俺も尊敬に値する。さあ行こう。やれ行こう。そして、戦士としてヴァルハラで再び会おう」
「ち、違うよぅ」
『じゃあ、なにするの?』

 絶妙なコンビネーション。そして、異なるベクトルからの多重口撃の前に、ななるは対抗する術を持たず、崖っぷちへと追い詰められた。無論、追い詰めた後も無言のプレッシャーにより、ななるはさらにパニックの淵へと引き摺りこまれる。絶体絶命のピンチ。そんな最中、ななるは回らない頭を必死で回転させて、考えた。考えた。多分、一生分くらい考えた。
 そして、光が差した。

「えーと……我慢大会……」









 と、いう訳で……。

 そんなこんなで、我慢大会に突入した3人であったが、ただでさえこのクソ暑い真夏の真昼に、家中の暖房器具全開にして行うこの過酷な催し物に、常人が耐えられる筈もなく、まず、ななるが速攻ギブアップした。
 残されたのは二人。一人は『水泳部のビーナス』『体操服の着こなしが最もえろい女』などの称号を得ている三姉妹の長女、千夏。もう一人は『妹狂い』『ブルマ星人』『旧体育倉庫の帝王』などの称号を得ている我らがブルマの申し子、勇。
 片や、体力はありそうだが熱に弱そうな水泳部。もう片方は、『俺の青春はブルマの為にある』などと公言して、部活動の誘いを一切断った帰宅部主将。何気に割と早く決着がつきそうな対決であった。
 割と早く決着がつきそうな闘いであったのだが……。

 二人は負けず嫌いであった。

「おうおうおうおう。顔真っ赤にしちゃってよう。そろそろ外で冷たい麦茶でも飲んで、仕事疲れのおっさんがビール飲んだ後みたいに、鼻息撒き散らしてきた方が良いんじゃないか?」
「はん。そういう兄ィだって、随分と汗が出てるよ。ワキガになる前に、さっさと冷たいシャワーでも浴びてきたら? ボクも異臭騒ぎで刑事告訴される兄を持ちたくないし」

 とまあ、こんな感じに。









 さて、話を戻そう。

 そんな理由で、80℃まで上げられた室内温度の余波を真正面から食らい、彩は倒れた。
 彩が倒れた後、急遽冷却されたリビングでは、緊急家族会議が開かれていた。とは言っても、メンバーは先程暇を持て余していた三人。彩は未だに気を失ったまま、ソファーの上でうんうん唸っている。

「やっぱりアレだよな。彩ちゃんもいるし、体力的にヤバいのは無理だな」
「だね」
「うん」

 三人の視線の先にあるのは今も魘され続けている一人の少女。勇にとって、その少女とは護るべき存在であった。彼女の兄として、幼い頃からその少女を見守り、支え続けてきた。今では殆ど回復したというものの、青年の彼女に対する想いは変わらない。そして、その想いは彼女の姉である千夏も同様に抱いているものだった。
 沈黙。まだ少し、先程の赤熱の宴の余韻を残した室内に気まずい空気が流れる。勇と千夏の視線が交錯し、互いに拒絶するように視線を彩へと戻した。互いの表情にくっきりと浮かび上がった翳。それを見るのが辛かった。

「あのね……」

 沈黙を破り、光を射し入れたのは、未だに幼さを隠し切れない彼らの妹。集まる視線に怯えながらも、ゆっくりと、だが、はっきりと一つ一つ言葉を紡ぎ出していく。

「……お兄たんや……千夏お姉ちゃんがそんな顔してたら……彩お姉ちゃんは嫌だと思うよ」

 ななるにとって、彩とは体の弱い少女である以前に、姉であった。彼女の弱さは勿論知っている。しかし、それ以上に自分の姉が、どんな事にも負けない、強い人間である事をななるは知っていた。そんな強さを持つ姉を、彼女は愛し、尊敬していた。

「ななるも……お兄たんや千夏お姉ちゃんには……いつも笑ってて欲しいな」

 最後に、強張った顔を無理矢理崩して、ぎこちない笑みを作る。そんなななるの弱々しい笑みを向けられた二人は互いに顔を見合わせて……。

 笑った。というか、爆笑した。気管に涎が入りそうなぐらい笑った。

「わははははっ。ななるちゃん。なんかめっちゃクサい事言ってない?」
「うんうん。クサい。ボク、そんな事、実際に言ってる人見たの初めてだよ」
「……えっ。あの……ええっ!? なんで笑うのっ!?」
「い、いや、だって、笑えって言ったのななるちゃんじゃないか。だはははははっ」
「くっ……そ、そうだよ。ななるが笑ってて欲しいって言うから……くふっ。うはははははっ」
「ち、違うのっ。そういう笑い方じゃなくてっ」

 あたふたするななるを見て、二人の笑い声はさらにエスカレートする。止めようとすればするほど、彼らの声域はあがり、リアクションも増す。そんなジレンマに堪えきれず、ななるは二人からぷいっと顔を逸らした。

「もう、お兄たんも千夏お姉ちゃんもしらないっ」



 でも、まあ、効果はあったようで。

 彩が目を覚ました時、真っ先に視界に飛び込んできたのは。
 大切な、そして大好きな家族の。
 暖かく優しい笑顔だった。











「で、結局暇になる訳なんだね」
「暇ー」
「まあ、さっきみたいに体力的な面で色々とヤバい遊びはできんだろ」
「だね」

 と、リビングでは相変わらず、だらけきった声が飛び交っている。先程とまったく変わらない。敢えて言えば、3人が4人に増えただけ。

「という訳で、なんかないか? 我慢大会っていうのは面白いからいいとして、体力的じゃなくって精神的に堪える奴」
「お兄ちゃん、悪口の言い合いとかどうかな?」
「いや、それだと千夏が勝つに決まってるから却下」
「ちょっと、兄ィ。なによそれぇ。まるでボクがいっつも悪口言ってみたいじゃない」
「まあまあ。けど、それ以外に何かあるかな? 精神的に辛いのって」

 故人はこんな言葉を残している。3人集まれば文殊の知恵。実際、先程は3人で、我慢大会という素敵な催しを考えついた。
 では、4人ではどうか……。

「はうわっ」
「ど、どうしたのお兄ちゃん」

 いきなり叫び声を上げ、ビクンビクンと痙攣しながらのた打ち回っている勇に、彩は心配して声をかける。ちなみに、他の二人は完全に無視。心配の代わりに、ホワイトアイを投げ掛けている。

「……浣腸」
「えっ?」
「そうだよ。浣腸だよ浣腸。精神的に堪える素敵な我慢。しかも、浣腸は俺がする訳で、浪漫的にもオールオッケー」
「……な、何言ってるの? お兄ちゃん」
「放っておきなよ、彩。いつもの兄ィの病気だって」
「うんうん」

 猛々しく吼える勇と呆れきっている3人。特に朝からそんな様子を度々見ている千夏とななるは、勇に一瞥すらくれず、ぼけっとワイドショーが映る画面に顔を向け続けた。
 が。

「という訳で、レッツ浣腸」
「ええっ!? ちょっとっ。お兄ちゃんっ。きゃんっ」

 流石にそんな声が聞こえてきたら、そっちを向かざるを得ない。そんな千夏の瞳に映ったのは……、スカートを捲くられ、パンツを下ろされ、白く綺麗なお尻を晒している彩とそれを見て、わきわきと手を蠢かしている勇の姿だった。

「あ、兄ィ。何してるんだよっ」
「見てわからないか? 浣腸だ」
「そ れ はっ、わかってるっ。だから、なんでっ!?」
「はっはっは。心配するな。こんな事もあろうかと、俺は常に浣腸液は携帯しているんだ」
「……お兄たん。誰もそんな事訊いてない……」
「さぁーて、彩ちゃんが終わったら、次はななるちゃんだからね。そうそう、俺には千夏がやってくれ」 
「はああぁ……お、お腹に…冷たいものが……いっぱい……」
「なんで、ボクが兄ぃなんかにっ」
「いや、キャラ的にはお前が一番かなって」
「なんでっ」
「……ななる……逃げちゃっていいかな……」









 閑話休題。



  ―――世界迷作劇場

        第1話『金のブルマ銀のブルマ』


「あなたが落としたのは、金のブルマですか? それとも銀のブルマですか?」
「ううん。昨日、ななるちゃんの部屋から盗んできた未洗濯のブルマ」

 突如として、泉の中から浮かび上がってきた女性の姿に面を食らいながらも、青年は正直に答える。

 そもそも、仕事の汗を拭う為のブルマを泉の中に落としてしまったのが、三刻ほど前。彼はその自分の犯してしまった罪の重さを嘆き、延々とそこでただ泣き続けた。
 それを哀れに思ったのが泉の女神様。最初こそ、こんな下らんものの為に自分が出張る必要などないと思っていた彼女だったが、いつまで経っても、そこから離れようとしない彼のその真剣さに胸を打たれて、参上した次第。両手に黄金と白銀のブルマを携えて。
 それが彼女の過ちだった。

「あなたは正直者ですね。では、褒美にこの金のブルマと銀のブルマを差し上げましょう」
「いらん」
「ええっ!?」

 いきなりの拒絶に目を見開く女神様。

「俺が欲しいのはななるちゃんの可愛らしい下半身をオブラードに包みこんだブルマだ。金とか銀とか……そんな悪趣味なものには興味はない」
「で、でも……」
「というか、神聖なるブルマをそのような無粋なものに変えてしまうとは……何たる侮辱。ぶるまの神様に謝れっ」
「は、はうぅ……。すみません……」
「……ふっ。まあいい。ところで、貴様、何処に行く?」
「はいっ!? えっと、その……暗くなってきたし、お家に帰ろうかなぁーなんて……」
「というか、貴様はぶるまが何たるかを知らなすぎる。よし、今日は特別に俺がレクチャーして進ぜよう」
「け、結構ですぅ」
「駄目だっ。そもそも、ぶるまの何たるかを知らん貴様が悪い。恥を知れ」
「いやぁあああっ! 離してっ。離して下さいぃぃぃっ」

 という訳で、女神は青年の手に落ちた。
 あれから、青年は時に熱く、時に理知的に話をし続けている。ぶるまの。
 今更ながら、彼の元に行った事について後悔が過るが、そんな事を気にしても、青年の話は未だに終わりをみせない。
 ぶるまの神とやらがいたら、絶対ぶん殴ってやる。
 そんな事を誓っちゃったりなんかした女神様なのでありました。
 めでたしめでたし。



 ぶるま名作劇場 了









 さて、あれから、あの4人がどうなったかというと―――。

「ち、千夏、厠はっ。厠はまだかっ」
「もうちょっとでコンビニがあるよっ。というか、そこはボクが予約してるんだからね、兄ィ。先に入ったらただじゃおかないよ」
「はっ。トイレに予約も糞もねえっ」
「……お兄ちゃん。私、もうダメ……」

 世の中にはできる事とできない事がある。流石に訪れる便意に勝てなかった哀れな負け犬共は、自宅にたった一つしかないトイレに殺到した。しかし、待っていたの残酷な現実。

「入ってまーす。えへへ☆」

 先客がいた。というか、真っ先に敗れた負け犬がのうのうと楽園にいた。えらく早いギブアップだと思ったら、まさかこれを読んでいたのかっ。
 
 という訳で、我慢しきれなかった3人は、すべての力を足と肛門に総動員して、トイレへと向かう。
 かのアダムとエバは叡智と引き換えに楽園を失った。それと同じくして、ここにも勝利の優越感と引き換えに楽園を失った者たちがいる。
 恐らく、エデンの園を失った人類の始祖と同じように、彼らもこれから先、辛い困難が待ち受けている事だろう。それは、例えば、コンビニのトイレが使用中であったり、公園のトイレには紙がなかったり。

「ええい。もう、俺はここでする」
「うわっ。兄ィ。流石にそれはヤバいよ! 人としてっ」
「んな事知るかっ。止めてくれるな、千夏ぅ!」
「ううっ。こんな事なら急いで家に帰るんじゃなかった……」

 外はやっぱり真っ赤な太陽が強く日差しを照り付けている。褐色色に身を焦がした少年が遊び疲れた様子でゆっくりと歩き、全力で走り続ける彼らを不思議そうに眺めていた。弾んだ息が身体の火照った空気を外に逃がし、生暖かい空気を肺へと送り込む。
 不意に風が走った。嫌な事を全て吹き流すような爽やかな一陣の風。そんな涼やかな夏の調だけが少女を優しく慰めてくれているような気がした。

 そんな、とある夏のお話。




 了
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