雨の日は何故か眼が覚める。
 いや、毎日眼は覚めるんだけどな……。
 やはり昔から、雨が降ると瑞佳に起こして貰う前におきてしまう。
 
 こんな欝な天気に二度寝する気分でもないから、さっさと洋服に着替える。―――そして

「よっと……」

 すっかりオレの相棒となってしまったギターケースを手に取る。
 エレキでは無く、木製―――アコースティックギターを……。
 高校の頃はろくに音楽もしてなかったし、やったとしてもエレキギター―――まぁいわゆるロックと言うヤツだ。そこら辺を適当に弾いていた。
 えいえんから、帰ってきて一年。瑞佳のやりすぎとも思われる程の献身さで一年遅れで瑞佳と同じ大学……そこの文学科に進むと言う事が決まった日、瑞佳の親父さんに突然呼ばれてこんな事を言われた。

「音楽を本気でやる気は無いかね?」



 




生きる音

 




 



 瑞佳のチェロは元々、親父さんからの勧めで始めたらしい。
 別にバイオリンでもいい気がしたのだが、チェロを選んだのは瑞佳の意思。前に理由を聞いたら「なんとなく、眼に止まったから」と、瑞佳にしてはえらくアバウトな返答が来たのを覚えている。
 そんな音楽好きの親父さんから言われてオレはさすがに驚いて言葉が出なかった。
 瑞佳も同じだったらしく、暫く固まったままだった。今考えれば、その時の瑞佳の表情は過去に中々無い傑作だった。さすがにあの時はそんな事をしてる余裕無かったけど……。
 でも正直、瑞佳と同じ大学に行けたという事での達成感を感じ、大学で何していいか判らなかったからオレはその提案を受けた。
 すると親父さんはオレにギターをやるといってギターを持ってきた。見るからに古いアコースティックギター。
 親父さん曰く四十年前の国産のギターと言う話を聞いた。
 四十年前―――1970年代のはじめという事だからちょうど世間はフォークブーム真っ最中、その頃に当時の一般人としてはそれなりに高い18000円で買ったらしい。

 そんなこんなでその古びたギターを貰い、家に帰った。
 その時は正直、あまり嬉しくなかった。オレとしてはロックのほうが好きだし、何よりアコギと言うのは軟弱な気がしてならなかった。
 しかし瑞佳の親父さんが折角くれたもの、邪険にするわけにもいかず、オレはとりあえずケースから取り出し実際に弾いてみる事にした。
 エレキからピックを取り出し、チューニングをし、いざ軽くコードを弾いてみた。




 ―――的確な表現をするなら鈍器で頭をぶん殴られた―――




 多分、これが一番正しい表現ではないだろうか……。音が綺麗とかボディが鳴るとかそういう問題ではない。
 
 ―――パワーがある。
 
 仮に違う言い方をすれば、音量がでかい。暫く適当に弾いては見たが、変な言い方をすると扱えなかった。音を鳴らしているのではなく、自分がギターのためにピックを動かしているロボットとなっている……。
 年代モノのギターはいいものとよく聞くが、なんとなく納得出来た。そのギターの音には瑞佳の親父さんが生きてきた音が存在する。弾き手の想いや感情がこのギターに込められているのだ。
 だからオレはその日から必死に猛練習した。まずはギターをまともに鳴らす事、本当に高一の時に始めてギターを触った時と変わらないような練習だ。
 でも今はその時とも違う。無心にギターを弾きまくった。変な下心など全くといっていいほど無かった。
 ただ、このギターを弾けるようになりたい。それだけの想いで必死に練習した。
 久々のギター……更にはエレキと違いスティール弦のせいもあるだろう指の皮が気持ちいいぐらいに剥ける。それでもギターを弾くのをやめなかった。高校三年生の春休みは長い―――始めたのが一月の下旬だから一ヶ月近く夢中で練習してた。
 その間、瑞佳とはろくにデートも出来なかったけど逆に瑞佳は嬉しそうだった。
 曰く「浩平にとって夢中になるものが出来たなんてデートしてもらうより嬉しいし、何よりわたしと同じ音楽に夢中になってもらえたのは本当に嬉しいよ」だ、そうだ。
 その事もあってか二月も終わる頃になるとオレもだいぶ弾けるようになって、瑞佳にも聴かせてやれるようになるぐらいまで上達して、瑞佳にも聴かせてやった。
 ある程度出来上がった演奏に瑞佳は満足そうに褒めてくれた。そばにいた瑞佳のお母さんも褒めてくれたし、オレは結構満足できた。
 だが、そこに瑞佳の親父さんだけは何故か苦い顔をしている。
 昔のオレなら恐らく気にはしなかっただろう。
 ―――だが、今のオレはある程度音楽人として成り立っている。だから、余計にあの表情が気になった。
 親父さんも俺の意図が読み取れたのかオレに―――

「瑞佳への想いを曲にして作ってみたまえ」

 そう言われた。
 ちなみにオレと瑞佳の関係は由起子さんも瑞佳の両親も公認だ。
 まぁ、かれこれ十年近くの仲だし、今更と言う感じでもあるが……。
 兎にも角にもオレは親父さんの課題を取り組むため再度こもる事にした。


 





「浩平、凄く変わったね」

 買い物の途中、瑞佳がそんな事を言ってくる。
 今は周辺用品を買いに、ちょっと大きな街まで瑞佳と一緒に出ている。
 最近ロクにデートもしてないしついでがてらと言ったら凄く嬉しそうに付いてきた。

「変わったって何が?」
「う〜ん……凄く格好よくなったよ」
「なんだ、それ……今までのオレは格好よくなかったってことかい」
「違うよ……。なんていうか凄く内面的な格好よさが今の浩平にはあると思うんだよ」
「内面的な……?」
「うん。浩平ってさ、真面目な時でもどちらかと言うとわたしのため……うーんと他人の為の格好よさはあったんだけど、自分の事となると浩平ってどうも情けなかったんだよ。それが今の浩平には自分の目標に向かう格好よさがあるんだと思う……今まで無かった浩平の魅力を感じてるもん」
「……瑞佳、そう言ってくれて嬉しいが、かな〜〜り恥ずかしいんだが……」
「何を今更だよ……浩平だって充分わたしに恥ずかしい事してきたし」

 そういいながら瑞佳は腕を絡めてくる。

 こんな関係になって瑞佳は少し性格が変わった。まぁほとんどがオレのせいなんだろうけどさ……。
 ちなみに今日買ったのは弦一ダース、ピック四枚、カポダスト、アコギ用ストラップ、サムピックの五点だ。結構金もかかった……ちょっと痛いのは秘密だったりする。





 曲完成の期限は二週間―――









 これはスランプなんだろうか……。



 オレは部屋でギター片手にそんな事を思ってしまった。
 瑞佳への想い……詩にするなんて正直恥ずかしいと思った。―――そこら辺は恥さえ捨てれば何とかなるもので、大まかに形として詩は出来た。曲の方もイメージは固まった……だが、そこから先が進まない。そう、大元となるべき曲が全く出てこないのだ。
 オレはある程度音楽をやっていただけあってイメージしたリフやソロ、コードなどは出ては来る……だが、それがどうも詩に合わない。
 いや、貧弱と言うべきなのだろう。
 出てくるメロディに対して曲が付いてこない。これでも一応は形にはなるのだが、どうにもこうにも「しょぼい」とか「安っぽい」になってしまう。
 このギターに触って楽器数が多いからといって豪華とか安いギターを使ってるからといって安っぽい音とかそういう評価はしなくなった。そもそも安っぽい音と評価する人間に、じゃあ安っぽくない音ってどんなものだ? と、問いただして見たい……。
 ……すまん、話がそれた。
 
 作った曲に歌詞を乗せて唄うと、どうも三流ドラマの脚本で顔がいいだけの俳優が見た目馬鹿の女優にラブコールを送ってる……そんな感じがしてならない。
 オレは作っては捨て、作っては捨てのまるで漫画とかに出てくる作家みたいな事を繰り返した。
 瑞佳に送る詩は出来てる……これに関しては自信があるし、瑞佳という人間にぴったりなものだと思ってる。
 なのにそれに似合うような曲が出来ない。
 オレは恐らく人生で一番と言っていいほど、悩んだ。これでも結構ヘヴィーな人生を送ってきたつもりだが、ここまで頭を使った事は無い。受験勉強の時でさえこれほどまでに悩んだ事は無かった。
 例外と言えば瑞佳と付き合い始めたときの戸惑いだが、まぁそれはベクトルが違うので除外。
 今回、厄介なのが期限をつけられた事……。期限さえなければ、何とかなると思える。けど二週間……十四日と言う限られた時間内で曲を作らなければいけないというトンデモナイプレッシャーの中、オレは曲を作らなければならない。



 ――――――焦る。

 何故曲ができないというもどかしさと、時間が迫るという焦り……そして堂々巡りの如く出来た曲を破って捨てる。
 瑞佳もたまに様子を見に来ては「無理しないでいいよ」と言葉をかけてくれる。
 その瑞佳の言葉は嬉しかった反面、情けないし、悔しかった。
 オレは瑞佳の何だ? 十年以上も瑞佳と一緒にいて……一年近く恋人やって……何故出来ない? オレは何のためにみずかに別れを告げここに戻ってきた?



 ――― 俺の中の瑞佳はそんなもんなのか? ―――

 それから十三日が過ぎて……一フレーズも出来なかった……。
 あと一日―――絶望的とでも言っていいほどだった。
 どうしようもなくなったオレは簡単なコードを引きながら途方にくれていた……。

 ―――突然とか閃きって本当にあるもんだと心から思った瞬間。



 何かが走った―――
 オレは無心に簡単なコードで曲を作った。
 それはスリーコードと一個マイナーコードを入れただけの本当に初心者でも作れる曲だった。
 悩んでた時はかっこいいリフを入れようとか、かっこいいテンションコードを探そうとか、化粧するのに必死だった。
 けど、土台が出来てなかった……。
 曲が作れない理由がここにあったんだ。
 なんて、莫迦な事だったのだろう―――
 まるで過去のオレを見てるようで少し情けなかった。
 それからは早かった。かかっても一つのフレーズに五分……。気付けば一時間としないうちに曲が仕上がっていた。
 いやー、本当に笑っちゃうくらいに簡単に出来た。今までの十三日はなんだったんだ? って言うくらいに簡単に……。
 正直こんなに簡単に作った曲で瑞佳への思いが伝わるのか、親父さんにそれを感じてくれるのか……。不安でないと言ったらウソになる。だが、これ以上に瑞佳への思いが伝わる曲が出来るとも思わない。
 だからこの曲でオレは行く……不安はあっても後悔はない……。



 


 ―――そして運命の日、オレは長森一家に聴かせる曲を演った―――




 面倒くさいから何も考えなかった。
 瑞佳への想いはこの詩と曲にこめている。後はオレがそれを心を込めて唄い上げれば良いだけ……。
 だから唄った。
 五分弱と言う短い時間……そうだなぁ、フィギュアスケートの選手がフリーの演技を終えたぐらいの達成感があった。


 


 ……瑞佳は泣いていた。母親も感動していたみたいだった。
 親父さんは……黙ったまま口を開く事無く、眼を閉じたまま……。
 恐ろしいほど、時間が長く感じた。

「えらく簡単な曲だな」

 最初に発せられた言葉がそれだった。
 覚悟していた言葉―――だからオレは既にそれに対する答えを用意していた。

「それが瑞佳への想いですから……簡単でいいんです。いえ、簡単で無ければこんな曲、詩は出来ませんでした」



 自信を持って言った言葉―――



「よくやったな、浩平君……いい曲だったよ」

 そんなオレに親父さんは笑顔で褒めてくれた……。
 泪が止まらなかった。
 そう、オレはやったんだ……。
 嬉しかった―――
 オレは自惚れる訳でもなく、やっと一人前のミュージシャンとして認められた気がした。
 そんなオレを瑞佳が優しく抱きとめてくれる。
 何もかもで、胸が一杯だった。
 瑞佳に伝わった―――
 親父さんに認められた―――
 自分で満足できる曲が書けた―――


 オレは決めた……本気で音楽をやろう。
 もっと深く、この苦労と感動を突き詰めたい。
 瑞佳とは方向性が違うが、自分の本質を音楽の中で表現したいと思った。

 オレが始めて、瑞佳以外でこうも一生懸命になった事でもあった。







 


 大学ではサークルに入らなかった。
 理由はいろいろあるのだが、音楽に対する姿勢が人とは違っていたのが大きな理由だろう。
 特にオレの事を理解してくれていた先輩バンドの人達がここを抜けたほうが良いと言ってくれた。さいさんオレも悩んだが結局は抜ける事にした。別に他でも音楽は充分に出来るしな……。
 だから、オレは近場のライブハウスにお邪魔したり路上で活動した。
 音楽と言うのは面白いもので、表現できる場所は何処にでもある。
 そして今は瑞佳の誘いでバンドもやっている。パートは相変わらずアコギだが何が面白いと言うと、バンドのメンバーに弦楽四重奏を取り入れている事だ。だからメンバーにチェロとして、瑞佳もいる。正直、こんな音楽は初めてだったがやってて結構面白いし、なにより瑞佳と一緒に音楽活動が出来る事が何よりも楽しい。
 ずっと一緒に過ごして来た瑞佳の中でも唯一の知らない部分、そこを知れたと言う事は瑞佳とより深い絆を結べると思う。


 


 でも……


 それ以上に……

 音楽が楽しい……

 オレの好きな人と好きな音楽を一緒にやれる……全く音楽人生これほど幸せな事は無い。
 こんな幸せが永遠に続けばいいなと想う。
 


 


 


 朝、今日は雨だし瑞佳ももうすぐ来るだろう。
 ほれ、ドアを閉める音……。瑞佳が来たな。

 トントンと上がる階段の音、オレは何が楽しいのか、ギターを取り出すとサムピックをつけてそのリズムに合わせてギターを奏でる。
 ほれ、こんなにもギターから出る音は生きてるかのようだ―――







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