「う……ん…………」


 寒い。
 冷たい空気が私の体を包み込んでいる、そんな感覚。
 どうして?
 お布団は被っているし、薄くないし、パジャマだって厚手だし、下着だって防寒性能抜群だし。


「ん……」


 ──夜なのに、全然眠れない。
 どうして?
 どうしてこんなに寒いんだろう?


 分かってる。
 誰か──ううん、大切な人の温もりをまだ求めている自分がいるから。


 甘えてる、まだ待っている私……このままじゃ、一人じゃ眠れない。だから。



「これくらい……かなぁ」



 棚の中にある綺麗な青い瓶の中の、真っ白で丸い物を、適当に口の中に含んだ。










MESSAGE












 真っ暗な場所にいる。
 暗い、暗い場所。光が無い場所。何も無い場所。
 そんな中に私は一人で立っていた。

「うわぁ……私しかいないね……」

 そう、私は一人で立っていた。
 自分の姿だけは、別に光り輝いているわけでもないのに見ることが出来た。

「でも、私が見えるなら、他に誰かいてもおかしくないよね……」

 そう思って、少し歩いてみる。
 何となく『向こう』と思った方へ、一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと。

 コツッ

「きゃ……!?」

 ドンッ!

 何かに引っかかって、全身で思いっきり下に倒れた。
 音が何となく重たそうに聞こえて嫌だし、とりあえず痛かった。最悪。

「何かな? これ」

 確かめるために触ろうとする、と同時に、それらも私と同じように見ることが出来るようになった。

「椅子と……テーブル?」

 しかも丸い食卓用テーブルには紙と万年筆が乗っていた。
 高そうな万年筆ってちょっとかっこいいかも、そう思いながら椅子に座る。

「…………」

 椅子に座ってもすることがなかった。
 真っ暗な中、一人ぼっちですることなんて。
 やっぱり……依存しすぎなのかな、私。
 甘えるのに慣れちゃってるから……お母さんにも、お父さんにも……お姉ちゃんにも。


 少しは慣れないといけない、のかなぁ……私。


 疑問系、だけどそれは確定してる事項。
 だから、私は。
 ゆっくりと、万年筆を動かす。


『ごめんなさい』


 それはみんなへのメッセージで。言葉通りのメッセージで。
 それは私へのメッセージで。奮い立たせるためのメッセージだった。








 手紙を覗きこむように書いていた私はいつのまにか、お姉ちゃんに顔を覗き込まれていた。

「わっ、お、お姉ちゃんっ!?」
「ようやく起きたわね……」
「な、何でっ?」

 起きあがろうとしたけど、頭が痛くて無理。全身も妙にだるい。
 周りを見た感じでは、私は居間のソファで寝ているらしい。

「ほら、これ」

 お姉ちゃんが青い瓶──睡眠薬が入ってるやつ──を取り出す。

「服用時には使用上の注意、用量を守りましょう」

 にこっと笑っているようで全然笑っていない。
 怖い。本気で怖い。

「あぁ、もう! 薬を目分量で飲むんじゃないって何度言ったら分かるの!」
「ご、ごめんなさい……」
「……まったく、もう。あんたって子は……」

 怒っている声も、はあ、と呆れている声も、必要以上に感情的で。
 だからこそ──悲しくなる。

「それで、もう大丈夫よね?」
「あ……うん」

 この、感情が冷めていく、声の変わり方に──悲しくなる。

「でも、睡眠薬を多量に飲む美少女ってドラマみたいだよね」
「……栞、じゃあ聞くけど……」
「睡眠薬の量を間違って飲む少女ってB級映画みたいだよね」
「よろしい」

 それはいいんだろうか。
 立ちあがって部屋を出ようとするお姉ちゃんに聞くべきかどうか迷っていると、振り返ってこっちを見る。


「ねえ、栞。何でドラマではそれが格好良いことになるのかしら」
「え?」
「……あたしには、恰好良いとも思えない。得することも無い……そうじゃない?」


 パタン


 何が、とは聞かない。
 そのまま扉を閉めるお姉ちゃんを引き留めることも無い。


「気付いてるのかな、気付いてないのかな、どっちかな?」


 まるで子供と会話する様に、教育番組の様に、軽い言葉を、小さく呟く。
 お姉ちゃんが私の事を思ってくれているから、その言葉が出た。そのことに、私は嬉しくなる。けれど。
 それはお姉ちゃんにも当てはまる事で、だからこそ──悲しくなる。


「自殺する事が何でドラマだと恰好良いかなんて……そんな事考えながら見てないもん、分からないよ」


 綺麗な青い瓶は再び棚へ戻る。
 別にまだ死ぬつもりは無かったんだけど……でも、やっぱり同じ事はしない。例え本当に死ぬ時でも。
 この考えもドラマっぽいけど。けど……やっぱり分からないや。何で恰好良いかなんて。




 自殺なんて──恰好良い生き方も、見た目も含めて、私っていう存在を全部否定しちゃうだけなのにね?














 一秒につき一回ずつ、部屋の時計は動いていく。
 それは私のタイムリミットが近づいている、そういう事。少なくとも私自身はそう思っている。
 だから残したかった。ううん、残したくなかった。
 伝えたかった。助けたかった。気付いたから。表情で。

『次の貴女の誕生日……』

 あれから、ずっと。
 教えてくれてるんだよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんの顔が、全部。

『それまで、生きられないかもって……』

 私がしようとしている事を、お姉ちゃんもしたいんだって事を。
 私が否定しようとしている私を、お姉ちゃんも否定したいんだって事を。

『どうして……笑っていられるの?』

 決まってるよ。
 私だって目を背けていたいから。お姉ちゃんだってそうでしょう?














 私の部屋にも机はある。
 夢で見たような丸いのじゃなくてただの学習机だけど。





──お姉ちゃん──





 夢の中と同じように、私はメッセージを送る。
 だけどそれは紙じゃなくて。言葉じゃなくて。行動で。





──私のメッセージ、伝わるかな──





 伝えたくない、だけど伝えたい。そんな私のメッセージ。
 例え、私がどうなっても、きっと『ココロ』が伝わるように。届くように。





──お姉ちゃんも、楽になれる方法知ってるんだよね?──





 私が私を否定する。私が私を無かった事にする。
 私は否定されてもいい、そう思ってもらえるように。
 それが、私のメッセージ。それが、私の伝え方。
 それが、私に今出来るただ一つの事で、私の望む事だから。









「だから……」

 ぱたん。
 扉が閉まって、一人きり。
 
 がさっ
 床に着く、紙袋。

 ぺたん。
 床に座りこむ、私。

 がさっ
 紙袋を、開ける音。

 がさっ
 紙袋から、取り出す音。

 がさっ
 紙袋を、横に置く音。


 かちかちかち……
 ……カッターナイフの刃を、押し出す音……。


「…………」
 飛び出た刃は銀色で……ぼんやりと私の顔が映る。
 そう、映るのは私だけ、やっぱり、一人きり。
 息を吸う。
 焦点がずれる。
 左手を見る。
 私の顔すら……見えなくなる。



 右手に力を入れただけだった。
 それだけの行動で、赤い筋が左手を走った。
 細くて、だけど真紅の筋が、私の左手の上を走った。



 だけど、それはいつまで経っても細いままだった。
 何で広がらないんだろう……?
 何でもっと深く切れないんだろう……?
 不思議に思っていると、ふと自分が泣いている事に気付いた。
 何で泣いているんだろう……?
 自分が笑っていたことを思い出した。
 何で笑っていたんだろう……?
 楽しそうな二人のことを思い出した。
 ……やっぱりおかしかった。だけど、今度は笑えなかった。
 左手が痛いから、私が惨めに思えるから、今……悲しいから、泣きたいから。






「──栞?」

 数十分後、感情が収まった私の耳に届いたのは、ノックの音と、お姉ちゃんの声だった。









 ぽすん、と音を立ててベッドに寝転んだ。
 さっきまで、お母さんに散々怒られてた。
「ごめんなさいって何回言ったかなぁ……?」
 数えてないから分からないけど、たくさん、たくさん謝った。
 お母さんにも。……見ているだけのお姉ちゃんにも。
「私のメッセージ、届いちゃった」
 小さく笑う。だけど、すぐやめる。
 ……やっぱり悲しいから、こんな笑い方なんて。


 左手を上げて手首を見る。
 まだちょっと赤い傷痕は、今日は隠さない。そう決めた。
 この傷はメッセージだから。
 お姉ちゃんへ送った、私からのメッセージ。
 生きているんだって、そう私に教えてくれた、私からのメッセージ。


 赤い色が命の色だなんて、初めて思った。
 生きているってことなんて……久しぶりに知った。














 一度伝えたメッセージを取り消すことなんて出来ない。
 だけど、生きている限り、私はメッセージを届けることが出来るから。
 いつか読んでくれるように、残しておくんじゃなくて、届け続ける事が出来るから。


 ……いつか消える命は諦めても、それが出来る私でいることは、諦めない。









 だから、私はここに立っている。
 今は一人、だけどあの時みたいに寒くなんかない。





──今生きている事への感謝──




──記憶の風景への感謝──




──あの二人への感謝──





 自分の足で、生きている私が、届けに来たメッセージ。


「……あ」


 そしてあの男の人が姿を現して。
 楽しそうな、あのやり取りを思い出して。
 私は──


「どうしたんですか? こんなところで」
「中庭に生徒以外の人間が入り込んでるから、見に来たんだ」
「そうなんですか? ご苦労様です」


 そんなやり取りを、思い出した本当の笑顔で交わしながら──





──届きますか? 私のメッセージ──





 密かに、だけど強く、想った。……願った。






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