ここは幻想郷。様々な不思議が積め込まれた正に不思議そのものな世界。ここに住む者達は空飛ぶ巫女だったり西洋風な東洋魔法使いだったり妖怪だったり幽霊だったりと少しずれた連中ばかりだった。これはそんなずれた連中の最末端、スキマの妖怪・八雲紫(やくもゆかり)とその式神・八雲藍(やくもらん)、更にその藍の式神・化け猫の橙(チェン)の三人のお話である。

 幻想郷にも季節の観念は当然の如くあり、四季折々様々な美しい景観を見せてくれるのがこの世界。まあ今年の春は少しばかり予定外の騒動があったりして、春が大幅に遅れたのだが、本日七月七日は例年の如く美しい満月であった。完全に丸い――つまりは真円たる満月は、幻想郷の僅かばかりの人間達にとってもずれた妖怪にとっても酒の肴には持って来いの代物であるに違いなかった。

 幻想郷の境にある古き屋敷。そここそがスキマの妖怪・八雲紫の寝床であった。寝床と言うか実際ここに住んでるが、昼間のほとんどは睡眠にあてがっていた彼女にとっては住居と言う印象は持たない。まあ今は夜中だから起きてるのだけれども。

 ふと紫は空を見上げた。人間達は満天の星空とか表現していた、と記憶している。七月七日が人間達にとってどんな日であるのかは知っていた。七夕とか言う祭事だ。祭事と呼ぶ程では無いのかもしれない。まあ紫には関係無い事だが、その七夕に関するエピソードは彼女にとって退屈極まりない物だと感じていた。

(えーと織姫と彦星だったかしら? 私なら空間に穴を空けて四六時中いちゃつくのに)

 スキマ妖怪だからこそ出来る芸当である。織姫が実際に彦星求めて空間から空間へ移動などすれば軽くホラーだ。ロマンティックの欠片もあったものでは無い。

(人間ってそんなのを素敵だとかロマンティックだとか言うのね)

 やはり面白いものだな、と思う。人間は不思議で理解出来ないものだからこそ、驚かしてその反応を楽しむ事が出来る。妖怪が妖怪同士で化かし合わないのは、互いを理解で来ているからであって全然面白く無いのだ。

(退屈ね……霊夢でもおちょくりに行こうかしら)

 幸いここから博麗神社は何里と離れていない。あの紅白巫女はどうせろくな仕事などせずに暇を持て余しているに違いない。このまま七夕の夜を何時も通りだらしなく過ごすのは勿体無い気がするのだ。

(ん? あれは……藍と橙?)

 二人は何やら植物を大量に抱えている。ああ、と紫はすぐさま理解した。人間が七夕の時にやる願掛けの様な物だった筈だ。

(全くあの二人は妖怪の癖に俗っぽい事が好きね)

 しかしながら、紫もまたそう言う俗っぽい事が大好きなのだ。伊達に何年も妖怪やってない。すぐさま二人の元へと飛んでいった。

「藍、橙……短冊をするのね?」
「紫様〜」

 橙が嬉しそうに紫に抱きついて来る。紫はまあどうでもいいとか思いながらも橙の顎を優しく撫でながら藍に尋ねた。

「私の分もある?」
「え、紫様も願い事を?」

 藍は軽く驚いた風であったが、しかしすぐさま笑顔に戻り主人に短冊を一枚渡した。

「あら、一枚だけなの?」
「欲張っちゃあいけませんよ、紫様」
「ふむ、まあそうね」

 人間欲が深いと酷い目にあう、等とは良く言うが……よくよく考えれば自分達は妖怪だから関係無いのでは無いだろうか、と紫はどうでも良い事を考えていた。

 紫は戸棚から筆を取り出してから考えた。はて、願い事と言っても何を願おう、と。藍と橙は既に書きあがった様である。参考までに橙が書いたものを見てみた。

『らんさまのしっぽのなかですきなだけねむりたい』

 猫の回答はまるで参考にならなかった。大体橙が藍の尻尾の中で眠るなど何時もの事である。それを今更願うのは勿体無い気がしないでもない。当の藍本人も嫌がる風が無いので何も問題は無い気がするのだが、まあ猫の考えは自分には理解出来まいと紫は早々に思考を切り替えた。大体に自が汚過ぎる。願いを敵える神様とやらもこれでは読み辛い事この上ないだろう。今度は藍の短冊を見てみた。

『紫様と橙と末永く穏やかに過ごしたい  八雲 藍』

 流石に藍は達筆だった。しかしまた不可思議な願いだ、と彼女は思った。これはもしや自分といると穏やかに過ごせないと言う遠まわしの嫌味か? とも勘ぐったが、藍がその様な子では無い事を紫は重々知っている。やはりこれが藍の心よりの願いなのだろう。

 藍にしても橙にしてもごく普通の事ばかりを願うのは何故だろう。妖怪は悠久の時の中にその身を置く物達だ。基本的に彼女等、妖怪達は寿命と言う概念が無い。死ぬ時は死ぬのかもしれない。それにしたって霊夢や魔理沙の数倍は軽く生きれるのだ。死と言う概念に最も近く最も遠い――それが妖怪である。

 疑問は渦を巻いて更に深き疑問へと紫を誘う様であった。はて、退屈凌ぎの筈が何故頭を悩ませているのか。やはり"生"とは楽しいものである。生きていれば不可思議な事ばかり。退屈な事は多いが、それ相応に面白い事もあって、結局はまあそこそこ楽しい。たまに霊夢とやる弾幕ごっこはスリリングでエキサイティングな遊びだった。成程、何となくわかって来た、と紫は直感の如く思った。

「ふむ……こうかしらね」

 サラサラと筆を走らせる紫。やはり彼女の字は流れる様に美しい字であった。

「何と書いたのですか、紫様?」
「みせてくださーい」
「ん〜? まあ面白い事は書いて無いわ」

 何となく気恥ずかしい物を感じる。そこが何処と無く暖かく思える紫だった。霊夢と言う風変わりな人間と関わった所為か随分と人間臭くなった気がする。勿論、悪い意味では無いだろう。

『幻想郷の皆と面白おかしく過ごしたい』

 藍と橙が声を揃えて言った紫の願い事。字としてだけでなく、音として表現された願いはきっと天の川まで届く事だろうと思うのは、少しロマンチシズムに浸り過ぎだろうなと紫は思った。

「まあ……悪く無いでしょ?」
「私達だけじゃないんですか?」
「ですかー」

 二人は不服そうに言った。勿論そう書こうかとも思ったが、それは余りに恥ずかし過ぎたし、それに紫にとっては霊夢や魔理沙達も大切な暇つぶし要員……では無く友人に違いなかったからである。

「まあ良いじゃない。さあ短冊を笹に下げるわよ」
「「はいっ」」

 人間達の真似をする自分達妖怪は滑稽かもしれないし、変な存在なのかもしれない。ただこの幻想郷と言う世界はそう言った変な存在なのだ。だから関係無い。だってここにいる人間だって変な連中ばかりなのだから。こんな変な妖怪がいたって構わないだろう。夜風に揺れる短冊を見て八雲紫は静かにそう思っていた――



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