出来た。私は文章をもう一度読み直した後、ページ設定を確認してから、印刷ボタンを押した。
 その瞬間、つながっているプリンタががちゃがちゃと動き始め、画面に表示されていた文章が次々と紙に刻印され、はき出されていく。
 そんな様子を見ていると、少し息苦しさを覚えたので、部屋の窓を開けようと窓に手を伸ばした。
 空調の効いた部屋に長時間いると息苦しくなることがある。ちょうど今がそんな感じだった。
 窓を開けようとして、雨が窓をたたいているのに気がついた。
 雨か……。そう思った瞬間窓の外が光り、ごろごろとうなる音が聞こえた。
 雷が光ると、つい、うなるまでの時間を数えてしまうのは私だけだろうか。
 何回か光ってからうなるまでの時間を数えていたら、こちらに近づいてくるのがわかった。
 近くに落ちなければいいけれど……。作業している最中に停電になってはたまらない。
 私は慌てて保存ボタンを押し、ファイルを保存した。

 時計を見ると、時間は午後10時30分を指していた。締め切りまであと1時間29分。のんびりしている時間はなかった。
 印刷ボタンを押してから、かなり時間が経つのにいまだにプリンタはまだ、がちゃがちゃと音を立てていた。
 旧型のプリンタは、こういう時印刷のスピードが遅くていらいらする。でも、終わらない物はしょうがない。
 私は改めてプリンタが順調に紙をはき出している事を確認すると、冷蔵庫に中にあるオレンジジュースを飲むためにキッチンへと向かった。
 印刷を待つ時間。それは、今の時間のない私にとって唯一の休息の時間だった。



 2度目の奇跡が起き、真琴が相沢さんの元に帰ってきた。
 未だにあの子は私の元に帰ってこないけれど、相沢さんと真琴がそんな寂しさを全部吹き飛ばしてくれていた。
 相沢さんと真琴は私にとって、手のかかる兄であり妹だったから。
 それはもしかしたら、あの子が帰ってこないことを、二人が気にしてくれたからなのかもしれない。
 相沢さんと真琴と一緒に過ごすようになって、私はテレビゲームを趣味とするようになった。
 相沢さんも真琴もテレビゲームが大好きで、いつも2人で遊んでいるのをうらやましいと思ったからだ。
 私が家庭用ゲーム機を購入すると、相沢さんが次から次へとおすすめのゲームを貸してくれた。
 また、彼は私がパソコンを持っているのを知ると、面白いからやってみなと、エッチなゲームを家庭用ゲーム機のソフトと一緒に置いていったのだ。 私は18歳になっていないからいりませんと固辞したのだけれども。
 そんな相沢さんが貸してくれた中にCLANNADというゲームがあった。そのゲームが何故私の目にとまったかというと、相沢さんが置いていったパソコンのソフトの中で、唯一このソフトだけが18と言う数字が丸で囲われた銀色のシールが付いていなかったからだ。
 それが、私とCLANNADの出逢いだった。


 そのゲームは面白かった。あっという間にぐいぐい引き込まれていった。
 ゲームを徹夜で遊んだのは今のところ、後にも先にもこのゲームだけだった。

 優しい物語だった。街と人のつながりの物語だった。とにかく登場人物みんなが優しい人なのだ。この作品の登場人物は誰もが魅力的だが、お気に入りはメインヒロインの古河渚だった。最初は学校に続く坂すら上れなかった彼女が、主人公の岡崎朋也に助けられ、強くなっていく姿が私には眩しく映った。
 ゲームを始めたその日から、私はそのゲームの大ファンになっていた。
 相沢さんから二次創作というものを教えてもらったのも拍車を掛けた。
 インターネットの上には、ゲーム中ではイラストでしか出てこない朋也・渚・その二人の子供の汐との幸せな家庭を描いた作品や、語られることの無かった他のヒロインの物語が同好の士たちの手により、それこそ山のように書かれていたからだ。
 私はそれらを貪るように読み、気がつくと書き手に回っていた。


 ある日、いつものようにサイトを巡っていると、とある作品の後書きにCLANNAD SS祭に参加しました。と書いてあった。
 興味を持って祭の管理者のサイトに行ってみるとトップページに、

 「CLANNAD SS祭!」次回のお題は「夏」締め切りは7月16日となっております。

 とあった。

 私は今までこういうイベントに参加したことがなかった。
 お題を決めて文章を書く。そして、その文章についていろいろ感想を言ってもらえる。
 それは、二次創作を始めたばかりの私には、すごく素敵なことに思えたのだ。
 私はすぐにCLANNAD SS祭に参加することを決めた。締め切りまで一週間しかなかったけれども。
 どんな話を書こうかと思って、二日くらい悩んだ。
 そして、ふと思いついたのだ。せっかく参加するのだから、少しひねったことをしようと。
 それで考えついたのが今の話である。
 CLANNADという世界を舞台にしたお話で、全然別の話の二次創作がのっけから始まったら、良くも悪くも度肝を抜くことができるのではないかと。
 レギュレーションのクロスオーバー規定が頭をよぎったが、キャスティングのクロスオーバーはしていないから、問題ないだろうと書き始めた。
 しかし、そういう話を書くのには結局話を二本書くのと同じ事なのだ。
 CLANNADの部分は意外と早く終わったのだが、マリアさまの話に手間取り、現在に至っている。
 冷静になって考えてみると、CLANNADの上に乗せる作品にマリア様がみてるを選んだのは、失敗だったかも知れない。
 マリア様がみてるの世界は、その世界固有の単語が多いのだ。
 例えば、山百合会が生徒会のことを指し、生徒会は3人の薔薇さまと呼ばれる生徒会長たちが合議制で運営しているということや、その薔薇さまの妹はつぼみと呼ばれるということ、今回の題材である姉妹とロザリオの関係――マリア様がみてるの舞台の高校では、個人的に強く結びついた先輩後輩の関係を姉妹と呼び、その姉妹になるための儀式としてロザリオが渡されていることなど。
 知っていれば何でもないことだけれど、その世界を知らない人には全く訳のわからない話をのっけから読まされるわけだ。
 我ながら、完全に読者を置いてきぼりにしている作品を書いているなと思う。
 でも、今回は記憶に残る作品を提出すると言うことで、しょうがないと割り切っていたし、入れ子の構造を理解してもらえれば笑ってもらえるのではないかと考えたのも、書き進めている理由の一つだった。

 そんな事を思いながら、作品を書き進めて、今日は7月15日。
 締め切りは今日の23時59分。厳密に言うと24時なのだが、それをオーバーしてしまうとMVPに選ばれないらしい。
 この作品でMVPに選ばれることはないと思うが、最初から対象外になることは避けたい。
 私は残りのオレンジジュースを飲み干すと、部屋に戻りプリンタがはき出し終えた原稿を手に取った。

 紙出しされた原稿に赤ペンで問題点を書き入れ、そしてそれをパソコンのファイルに取り入れていく。
 ファイルに問題点を取り入れたら、それをもう一度印刷して、さらに問題点がないか見直し書き入れていく。
 そんな作業を5回以上して、やっと紙出しされた原稿に赤の問題点が無くなった。
 時間を見ると、11時50分を指していた。
 何とか間に合いそうだ。そう思いながら私はブラウザでブックマークしてあった、CLANNAD SS祭の会場を開いた。


 CLANNAD SS祭は、掲示板に作品を投稿する形で参加する。
 私は作品を投稿するために『第三期くらなどSS祭!私がお前の居る場所まで行く』と言うスレッドをクリックして、投稿画面を開いた。
 まず、作品をメッセージ欄に貼り付け、投稿者名に『ひみつ』と入力した。
 感想会で作者当てをするらしく、投稿者名をひみつと入力するのが決まりらしい。
 次にタイトルを記入する欄に『いれこ 〜印刷ボタンを押した後〜』と入力した。当然、いれこは入れ子だ。
 最初はマトリョーシカにしようか悩んだが、2つばかりの入れ子にマトリョーシカは構えすぎだと思ったのだ。
 一番小さなマトリョーシカに、願いをこめて息を吹き込んで閉じこめたら、願いが叶うという言い伝えもあるから、本当はそっちの方がよかったのだけども。
 3重の入れ子になっていたら、きっとそう名付けただろう。


 名前、タイトル、作品全てが入力された。これで、ボタンを押して完成と言うときに、その悲劇は起こったのである。





 次の日曜日。私は相沢さんと真琴と一緒に電気屋にいた。

「これなんかいいんじゃないか?」
「美汐。こっちのもすごいよー」
 そう言って二人が指さすのは一台のパソコン。
 私はパソコンを買い換えるためにこの場所にいる。
 あの時、私がボタンを押そうとしたその瞬間に、家に雷が落ちたのだ。
 その雷はかなり強力なものだったらしく、家中を停電にするだけでは飽きたらず、家中の家電を破壊していった。
 当然、私のパソコンも被害に遭っていた。
 目の前が真っ暗になるという言葉は、慣用句ではなく、実際に起こりうることなんだと言うことを私は身を以て体感したのだった。


 結局私は、CLANNAD SS祭に作品を投稿する事はできなかった。パソコンが壊れてしまったせいで、ファイルを取り出すことができなかったし、印刷したものをわざわざ打ち直す気力もなかったからだ。

 私は小さくため息をつきながら相沢さんと真琴を見た。
 祭にも参加できず、パソコンもおシャカになってしまったけど、こうやって、相沢さんと真琴と楽しい時間を持つことが出来るのは不幸中の幸いなのかもしれない。
 私はそう思いながら、二人の指さすパソコンをのぞき込むのだった。

FIN


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