「ううむ……」
ここに一人の悩める少年がいる。
その名は相沢祐一。
彼は何を悩んでいるのか。それは一人の少女のことに関してである。
その少女とは、隣の部屋で既に就寝中のはずの同居人の従妹のことではなく、その親友にしてクラスメイトでもあるウェーブヘアーの少女のことでもなく、時折商店街で出会う何か大切な物を捜しているらしい羽根つきリュックを背負った少女のことでもなく、夜毎あまり意味のない悪戯を繰り返した挙句つい数日前にいなくなった自称記憶喪失の少女のことでもなく、もう一人別の少女のことであった。
チェックの柄のストールを羽織った、どこか儚げな印象の小柄な少女。
その名は、「美坂栞」。
初めてその名前を聞いたときから、祐一はある一つの考えに囚われていた。
すなわち、彼女は自分のクラスメイトの美坂香里の血縁者、もっと端的に言えば妹なのではないかと。
しかし、何気なく彼女にそのことを問いただしてみても、返ってきたのはなんともそっけない答えだった。
『栞って誰?』
『あたしに妹なんていないわ』
『あたしは一人っ子よ』
「――とてもそうは思えないんだけどなぁ……」
ベッドの上に横になり、祐一はぼやいた。外見的な相似もそうだが、内側から滲み出てくる雰囲気も、二人の少女は非常によく似通っている。これは絶対に血縁者でしか有り得ないものだ、と祐一は考えていたのである。
「よしっ!」
不意に小さく叫び、祐一はベッドから身を起こした。そして何か妙案を思いついたような顔つきで、独り言のように呟いた。
「こうなったら、あれをするしかないな。善は急げって言うし、早速明日実行だ!」
そして彼は夜遅くまで、頭の中で何かをイメージトレーニングしているかのように、ぶつぶつと何事かを呟き続けるのだった。
翌日の放課後。
「香里、ちょっと顔を貸してくれ」
ホームルームが終わり、担任が教室を出るや否や、祐一は斜め後ろの席に座っていた香里の手をむんずと掴み、有無を言わさず引きずるようにして教室から連れ出した。
「えっ? ちょっ、ちょっと、何なのよ一体?」
困惑したように言いながら香里はどうにか祐一の手を振り解こうとしたのだが、男女の力の差の前には所詮叶わず、わけもわからぬまま連行されてしまった。他のクラスメイトたちも最初のうちはその様子を呆然と眺めるしかなかったのだが、やがて思い思いに手近な者同士で会話を始めた。
「やるわね、相沢君。まさに男って感じで、見直しちゃったわ」
「あの難攻不落の美坂香里も、とうとう年貢の納め時かもな」
などと好き勝手な憶測が飛び交う中、一人の少年だけはまさにこの世の終わりが来たかのように落ち込んでいた。
「そ、そんな……う、嘘だろ……まさか相沢も美坂狙いだったなんて……」
髪の毛が頭の頭頂部で触覚のように突き立っているのが印象的な少年は、言うまでもなく北川潤である。
「カッコいいよね、祐一」
一方、彼の斜め前の席に座る祐一の従妹にして香里の親友でもある水瀬名雪は、事態がわかっているのかいないのか、のほほんとした微笑を浮かべてほのぼのとした雰囲気を醸し出していた。
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろ、水瀬? このままだと、相沢と美坂がくっつくかもしれないんだぞ? お前だって、心中は穏やかじゃないはずだぞ。違うか?」
「うん、そうかもしれないね。でも……」
北川の非難がましい問いかけに、名雪は少し言いかけてから黙り込み、しばらくしてからまた口を開いた。
「わたしは……祐一が幸せになってくれさえすれば、それだけで十分だよ。それに、祐一だけじゃなくって香里も一緒に幸せになってくれれば、もう何も言うことはないよ……」
そう言った名雪の目はどこか寂しげではあったが、それ以上に誇らしげでもあった。
「――そこまであの二人のことを思ってやれるなんて……水瀬ってすごくいい奴なんだな……」
感服したように呟く北川だったが、次の瞬間、名雪は打って変わって好奇心一杯の表情になって言った。
「ねえねえ北川君、これからあの二人がどうなるか、一緒に見に行かない?」
「はあ?」
「だって、すっごく面白そうなんだもん。北川君だって、ほんとはあの二人がどうなるか気になるんでしょ? だったら、一緒に行こうよ。いいでしょ、ね?」
「ちょっ、ちょっと待てよ。いきなりそんなこと言われても……」
名雪の態度のあまりの変わりように、北川は戸惑いの色を隠せずにはいられなかった。
「そ、それより水瀬、部活はいいのかよ? 今日だってあるんだろ? 部長なんだから早く行かないとまずいんじゃないのか?」
「そんなのあとあと。今はこっちの方が最優先だよ」
誤魔化すような北川の言葉にもたじろぐことなく、いともあっさりと言ってのけると、名雪は早々と席を立って廊下に向かって歩き出した。
「はぁ……女ってわかんねえもんだなぁ……」
北川はため息をついて頭を軽く左右に振り、やがて諦めたような顔つきで先に廊下に出た名雪を追って教室を後にした。
さて、先に教室を出て行った祐一と香里の間ではどのようなやり取りがなされていたのか。
「ちょっと相沢君、いつまで手を掴んでるのよ? いい加減離してよねっ」
中庭に通じる扉の前まできたところで、ようやく香里は祐一の手を振り解くことに成功した。
「ああ、ごめん。痛かったか?」
「別にそんなのは大したことじゃないわ。それより、これは一体どういうことなのよ?」
手首を軽くさすりつつ、香里は祐一に鋭い眼差しを注ぎ込む。
「それなんだけど……実はな、今日は香里に大事な用があるんだ。プライベートなことなもんで、みんなの前じゃちょっと切り出しずらかったんだ。どうしても二人きりじゃないと話せないことだから、強引なのは百も承知でこうしてきてもらったんだ」
「大事な用? プライベートなこと? それに、二人きりじゃないと話せない、ですって?」
祐一の返事を聞いた途端、香里の表情は胡散臭そうな、訝しげなものに変わっていった。
「それって一体……はっ!? ま、まさかっ!?」
「お、おいっ? 香里!?」
そして香里は祐一の存在を無視し、何やら心の中だけであるイメージを展開していった。
『香里……実は俺、香里のことが好きなんだ! 俺と付き合ってくれ!』
『ええっ!? こ、困るわ。いきなりそんなこと言われても……あたしたち、まだ知り合って間がないのに……』
『恋愛に時間なんて関係ない! ひと目会ったその日から恋の花咲くこともある、って昔の人も言ってるだろ?』
『そ、それはそうだけど……で、でもだめ。やっぱりだめだわ……』
『どうしてだ! 俺じゃあ恋人にするには頼りないっていうのか!?』
『ち、違う! 違うわ! 確かに相沢君は素敵な人よ、他の誰よりも。で、でも……』
『でも、何だよ! はっきり言ってくれ!』
『そ、それは……な、名雪が……』
『名雪が何だっていうんだ! 今はあいつのことなんて関係ないだろ!』
『そういうわけにはいかないわ。だって……あの子は、あなたのことを……』
『ああ、知ってるよ……薄々わかってはいたさ、あいつの気持ちも……』
『だったら、どうしてあたしなんかと!? あの子の方があなたにはずっとふさわしいはずなのに……』
『……そんなことはない』
『えっ?』
『確かに名雪も魅力的な女の子だよ、香里に負けないぐらいに。でも俺にとってあいつはただの従妹で同居人でクラスメイトでしかない。それ以上にはなりえないんだ、絶対に。何故なら……俺は香里でないとダメなんだ……』
『――あ、相沢君……あなた、それほどまでにあたしのことを……』
『もう一度訊くぞ香里、お前は俺のことが好きなのか? 嫌いなのか? どっちなんだ?』
『あ、あたしは……え、ええ、そうよ。あたしも、相沢君のことが好き……ほんとはあたしも、初めてあった時から相沢君とでなきゃダメだって思ってたの……でも、名雪のことを思うと、どうしても言い出せなかったの。あの子を裏切るようなことをしたくなかったのよ……今まではっきりさせなくて、ごめんなさい……』
『そうか……いや、そのことはもういい。これからはお互い遠慮はなしでいけばいいんだから。大丈夫、そのうちきっと、名雪にもいい奴が見つかってうまくやっていけるよ、俺たちみたいにな』
『相沢君……』
『香里……』
「――そして二人は優しく抱き合い、どちらからともなく顔を近づけて……くふふふっ……」
「か、香里さん?」
いきなりにやにや笑い出した香里に、祐一が訝しげに声をかける。
「ああっ、ダメよ相沢君っ。こんな明るいうちからいきなりそんなことだなんて……えっ? い、嫌なんかじゃなくって、あたしはただ……もう、しょうがないわねぇ、うふふふふっ……」
しかし祐一の声は全然届いていないらしく、香里はなおもにやにや笑いを浮かべながら何やら怪しげなことをぶつぶつと呟き続けていた。
「ああ、とうとうこの日が来たのね。これであたし、もう子供には戻れないのね……でも、後悔なんかしないわ。だって、あなたと一緒なんですもの……さあ、相沢君、来て……」
「来てって……一体どこへ行くつもりなんだよ?」
「そ、そんなの決まってるじゃない。あなたとあたし、二人っきりの目くるめく世界へ……ぐえへへへっ……」
「ぐえへへへっ、じゃないだろ! しっかりしろよ、香里!」
「へっ?」
祐一に激しく体を揺さぶられ、ようやくご帰還あそばされた美坂香里嬢であった。
「あ、あたし……一体、何がどうなったの?」
「それは俺が大いに聞きたいよ」
祐一の顔はこれ以上はないというぐらいに呆れ果てたものになっていた。
「で、とりあえず話を続けていいか?」
「え、ええ。もちろんいいわよ。もう何なりと言っちゃってちょうだい。あたしも、もうそれなりの覚悟はできてるから」
「覚悟って……そんな大げさなもんじゃないぞ。ただちょっと付き合ってもらいたいだけなんだけどな」
「付き合う!? ああ、やっぱりそういうことだったのね……これであたしもやっと……」
「もしもし? あのー、香里さん?」
またしても自分だけの世界にトリップしそうになった香里を、祐一は慌てて呼び止める。
「な、何、相沢君?」
「なんか誤解してるみたいだけど、付き合うってそっちの意味の付き合うじゃないぞ。一緒に来てもらいたいっていう方の付き合うだからな。そこのところ間違えないでくれよ」
「そ、そうなの?」
どこか拍子抜けしたように言った香里の顔には、何故かがっかりしたような残念そうな表情が浮かんでいた。
「それで、どこに連れて行ってくれるの? まさか、このままいきなりデートっていうんじゃないでしょうね?」
「だからそうじゃないって……」
「冗談よ。それで、どこなのよ? あたしを連れて行きたいっていうのは?」
「――中庭だ」
「中庭? そこに何があるっていうのよ?」
「来て見ればすぐにわかるさ。さあ、行こうぜ」
「あっ、待ってよっ」
祐一はようやく本来の調子を取り戻し、中庭に通じるドアを開けて外へ足を踏み出した。香里も慌ててその後を追っていく。
二人が中庭に出てみると、そこには既に一人の先客がいた。
「あっ、祐一さん。遅かったじゃないですか。もうすっかり待ちくたびれちゃいまいしたよ」
比較的雪の少ない芝生の上に座り込んで、にこやかに微笑みながら軽く手を振る小柄な少女。彼女こそ、「美坂栞」その人である。
「よう、久しぶり。元気だったか?」
「はい、おかげさまで。でも、久しぶりっていうのも変じゃないですか? 私たち、今日のお昼休みに会ったばかりですよ」
「それでも、もう何時間かは経ってるだろ? だったら、十分久しぶりだよ」
「あははっ、それもそうですね」
初めて会ってからまださほど経っていないというのに、祐一たちは旧知の友人のようにすっかり意気投合して、快活に会話を交わしていた。
「それで祐一さん、今日はどうしたんですか? 何か大事な用があるって言ってましたけど、何のことですか?」
「ああ、そうだったな……」
昼休み、いつものように彼女と一緒に昼食を食べた後(例によって例のごとく、彼女が食したのはバニラアイスのみだった)、祐一は彼女に、今日は大事な用があるから放課後まで残っててくれるようにと前もって言い含めてあったのだ。幸い彼女も特に用事はなかったらしく、祐一の言う「大事な用」とやらを期待半分、不安半分の気持ちで待ち続けていてくれたのである。
「実はな、今日は折り入って、頼みがあるんだ。突然で悪いとは思ったんだけど、どうしても今日じゃないとダメなことなんだ。聞いてくれるか?」
「頼み、ですか?」
彼女は最初いまいちよくわからぬままに、どこか申し訳なさそうに語る祐一を見ていたが、不意に何かに気づいたようにその表情が一変した。
「はっ!? ま、まさか祐一さん、今ここで私に……だ、ダメですよ、そんないきなりだなんて……で、でも……私も、祐一さんとだったら……うふふふふっ……」
「いや、その想像は絶対に違うから」
先程の香里のように妄想に走る寸前の彼女に、祐一は冷静な口調で否定をする。
「そ、そうなんですか? ちょっと、残念かもです……」
「残念って、どういう意味だよ……」
心底残念そうに呟く彼女を見ながら、祐一は自分の中の曖昧とした疑念が、次第に明確な形を作っていくのをはっきりと悟っていた。さっきの香里に負けず劣らずのこの勘違いぶり。どう考えてもこれは姉妹以外の何物でもないはずだ。そう思った祐一は真面目な顔で彼女の顔をじっと見つめ、真剣な口調で言った。
「栞、今日は栞がずっと会いたがってた、大切な人を連れてきてやったぞ。ぜひ会ってやってくれ」
「は? た、大切な人? 一体誰のことを言ってるんですか?」
しかし祐一は彼女の問いを無視し、先程から手持ち無沙汰ぎみに少し離れた所に立っていた香里に大声で呼びかけた。
「おーい香里! 早く来いよ!」
「そんな大きな声出さなくってもすぐに行くわよ……」
どこか呆れたように呟きながら歩み寄ってきた香里を、祐一は強引に彼女の正面に引き合わせ、大げさなジェスチャーを交えた芝居がかった口調で言った。
「さあ、美坂姉妹感動のご対面だ! どうだ、嬉しいだろ栞! お姉さんにやっと会えたんだから! さあ、どうだ香里! これでもまだ自分に妹なんていない、こんな子は知らないって言い張るつもりか!」
「ええ、知らないわ」
「なっ!?」
いともあっさりと即答され、祐一は思わずズッコケそうになる。それでもどうにか寸前で堪えることに成功し、大声でまくし立て始めたのは、ある意味立派と言えるかもしれない。
「ど、どういうつもりだ、香里! この期に及んでまだとぼけるつもりなのか! 見ろ、あの目元を! あの口元を! あの顎の線を! どれもお前にそっくりじゃないか! あれこそ二人が姉妹である何よりの証拠じゃないか! 違うか!」
「ええ、違うわ」
「なっ!?」
祐一が興奮すればするほど、それとは対照的に香里はますますクールになっていった。その時、二人のそんな不毛とも言えるやり取りを呆然と見ていた彼女が、いかにも言いにくそうにおずおずといった感じで祐一に声をかけた。
「あのー、祐一さん……ちょっといいですか?」
「ん? ああ、そうだったな。さあ栞、お前からも何か言ってやれよ。この薄情極まりない姉さんに。ここまで存在を無視されて悔しいとは思わないのか?」
「悔しいって、どういうことですか? というかそれよりも……この人誰ですか?」
何が何だかさっぱりわからないといった顔つきで、彼女は目の前に立つ香里を指差す。
「はあ!? お、お前まで何てこと言い出すんだ! せっかく俺がたった一人のお姉さんを連れてきたっていうのに!」
祐一はますます声を大きくして取り乱したが、香里と同じように彼女も冷静なままだった。
「でも……私はこんな人知らないんですけど……」
「な、何っ!? こいつはお前のお姉さんじゃないっていうのか!?」
「ええ、違います。というか、顔を見るのも今日初めてなんですけど……」
「そ、そ、そんな馬鹿な! そんな馬鹿なことがっ! まさかお前も、俺を騙すつもりなのかっ!」
「だ、騙すだなんて……私はそんなつもりは……」
「――相沢君、ちょっといいかしら?」
そこへ、混乱の極みにある祐一に助け舟を出すように香里が声をかけ、彼に代わって彼女の顔を正面から見据えて尋ねた。
「あなた、この学校の生徒?」
「は、はい。今はちょっと訳ありでお休みしてる最中なんですけど……」
いきなり香里に正面から顔を覗き込まれ、いささかうろたえつつも、彼女はしっかりとした口調で答えた。
「そう。だったら、生徒手帳も持ってるはずよね。ちょっと貸してくれるかしら?」
「えっ? ちょっ、ちょっと待ってくださいね。ええと……ああ、ありました。はい、どうぞ」
しばらくポケットをごそごそと探って彼女は生徒手帳を取り出し、香里に手渡した。
「ありがとう」
それを受け取った香里は最初のページを開き、しばらくじっとそのページを凝視した後、祐一の方を向いてやけに低いトーンの声で言った。
「相沢君……」
「な、何だよ?」
「まずは黙って、これを御覧なさい」
そう言って香里は、生徒手帳の一番最初に開かれたページを祐一の眼前に差し出した。
「これが何だっていうんだ……ああっ!?」
祐一の声は途中から驚きの声に取って代わられた。少女の顔写真と共に彼の目に映ったのは、次のような文字だった。
『三坂詩織』
そしてその文字の上に貼り付けられている顔写真こそ、誰あろう祐一が中庭で会い続けていた、件の少女に他ならなかった。
「み……みさか、しおり……」
「はい?」
何気ない呟きを自分への呼びかけと解釈した『三坂詩織』が問いかけてくる。しばらく躊躇ったあと、祐一は意を決して尋ねた。
「き、君のお姉さんの『みさかかおり』って……『美しい坂に香る里』って書くんじゃないのか?」
「いいえ、違いますよ。私の姉は、『三つの坂に花を織る』って書いて、『みさかかおり』って読むんですよ」
「や、やっぱり……」
力なく呟き、祐一はがっくりとうなだれた。もっとも、最初に生徒手帳を見せられた時から薄々と感づいてはいたのだが。
つまり、全ては祐一の勘違いでしかなかったのである。最初に『みさかしおり』という彼女の名前を聞いた時、たまたま同じクラスに同じ読みをする苗字のクラスメイトがいたばっかりに、彼女の名前もきっとそうに違いないと勝手に彼女の名前の字を『美坂』と変換し、なまじ外見や雰囲気が似通っていたばかりに二人は姉妹なのではないかと、勝手に解釈してしまったのである。
ちなみに、『三坂花織』なる名前の2年の女子生徒は、祐一たちとは全然別のクラスにいる。祐一はもちろん当の香里自身も全然面識はないし(さすがに名前は聞いたことはあるが)、外見も『美坂香里』とは似ても似つかぬものである。
「さて、相沢君。あなたはあたしとこの子を引き合わせて、一体何をしでかそうとしてたのかしら?」
尚もうなだれたままの祐一に、香里が非常にゆっくりとした口調で問いかけた。その顔に浮かんでいるのは怒りとか呆れとかの感情を超越した、ある種達観したかのような諦めにも似た表情だった。
「え、えーと……何ていうか、つまりその……は、はははははっ……」
香里から注がれる冷ややかな眼差しに対し、祐一はかすれ気味の声で笑うことしかできなかった。『三坂詩織』も何ともいえない複雑な表情を浮かべて、祐一と香里を交互に眺めている。
「それじゃあ、そういうことでっ!」
「あっ……!?」
そして祐一はいきなり二人に背を向けて、脱兎のごとくその場から走り去った。後には何がどうなったのかさっぱりわからないでいる二人の少女が呆然と立ち尽くしているだけだった。
「あ、あのー……」
しばらくの間二人の少女は、祐一が去って行った方をぼけっとした顔つきで眺めていたが、やがて『三坂詩織』が非常に言いにくそうに香里に声をかけた。
「何かしら?」
「失礼ですけど、祐一さんとはどういうご関係なんですか?」
「――ついさっきまでは友達のつもりだったんだけど、今は正直わからなくなってきたわ……」
「はあ、そうですか……実は私もなんです……」
そして二人はしばし互いの顔を見つめた後、揃ってため息をつくのだった。
「で、結局何がしたかったんだ、相沢は?」
二人の少女の立っている場所から少し離れた物陰では、一部始終をこっそり覗いていた北川が顔中を?マークにして呟いた。
「うーん……多分、あの女の子が香里の妹さんかどうかを確かめたかったんじゃないかな」
北川の隣には名雪もいて、こちらも彼に負けず劣らずわけのわからない顔つきをしていた。
「でも祐一、どうしてあんな回りくどいことしたのかなあ? 香里のことを知りたいんだったらわたしに訊いてくれればすぐに教えてあげたのに」
名雪と香里は中学入学以来からの知り合いで、互いの家庭のこともほとんど全て知り尽くしている。もちろん、香里に妹などいないことも先刻承知の助なのである。
「男ってのはみんなそういうものなんだよ。変なプライドっていうか意地っていうか、とにかくそういうのが邪魔してなかなか素直になれないんだよ。わかるなあ、その気持ち。うんうん」
自分にも幾分思い当たる節があるのか、北川は腕を組んでしきりに頷いていた。
「でも、よかったね、北川君。香里が祐一の意中の人じゃなくって。ほんとにそうだったらどうしようって思ってたんでしょ?」
「はあ!? い、いきなり何言い出すんだよ、水瀬!? オレは別に、そ、そんなことは全然……」
突然の名雪の発言に、北川はしどろもどろになって弁解する。
「ふふっ、素直じゃないのは北川君もおんなじだね」
屈託のない笑顔を浮かべて名雪は言い、北川に悟られないように小さく付け加えた。
「わたしにもまだチャンスは残されてるってことだもんね、頑張らなきゃ。ふぁいとっ、だよ……」
「ったく……」
案の定、北川は何も気がついていないらしく、苦々しげな顔をしていたが、不意にあることを思い出して言った。
「それにしても相沢の奴、明日からどうするんだろうな。美坂とどうやって顔を合わせるつもりなんだ? クラスの連中の目だってあることだし、これからいろいろ大変なことになるかもしれないぞ」
「楽しみだね」
「――お前、実は面白がってないか、水瀬?」
「ううん、全然そんなことないよ」
まるっきり他人事のように言い、名雪はわざとらしく時計に目をやる。
「あ、もうこんな時間。わたしそろそろ部活に行かなきゃ。それじゃあね、北川君」
そして名雪は北川に軽く手を振り、その場から走り去った。
「はあ……やっぱり、女ってわかんねえなぁ……」
しばらくして、北川も盛大にため息をついてその場を後にした。結局、彼らの存在は二人の少女には最後まで気づかれないままだった。
祐一と香里はその後どうなったのか、それは神のみぞ知る、である。
感想
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