ぽーん、と宙を舞う。
 時と場所と場合によっては綺麗な放物線を描くそれは、やっぱり予想通りに不恰好で。

 真剣な表情でそれを見つめる栞の姿は、少し間抜けで。
 少し離れたところからそれを見つめる祐一は、落下と同時に、一つ溜息を漏らす。


 ぽてん、という決して軽やかとは言えない音がして、ころころと転がって、止まる。


 ほんの数秒前に公園に響いた「あーした天気になーぁれっ」という声は、二人の耳にまだ焼きついている。
 そして、正の向きではなく、横向きでもなく、どう見ても裏を向いている靴は、視界にしっかり入っている。

 少し寒い、風が吹いた。
 何とも言えない表情を浮かべ、祐一は少しふてくされている栞の元へ、一歩足を踏み出した。







安っぽくても、それでも








 きっかけは前日のドラマの直前、お天気おねーさんが告げたぱーふぇくとな翌々日24時間の降水確率、100%だった。







「長靴だと、絶対に裏が出ないんだよな。晴れにも殆どならないんだけど」
 うー……と呟きながら、片足をぶらぶらさせている栞。
「だからさ、雨の日に長靴を履いた時に一度試してみたんだ」
 その光景を、思い浮かべる栞。

 雨。長靴。傘。
 ぽーん、と宙を舞う長靴。
 残る片足。それはきっと、雨の雫に晒されて。
 きっと、持っている傘で、バランスを取っているように見せるのだろう。
 そして、遠くに残る横になった長靴を見て、虚しさを覚えるのだろう。そんな相沢祐一、推定9歳。

「シュールな光景ですね……」
「ああ、俺もそう思う」

 ただ、今のお前も相当滑稽だけどな……とは言わず、祐一はただ靴を拾い上げる。
 そして栞にゆっくりと近づいて、まだ不満げに揺れている片足の正面に座り込み、片膝をつく。




 ――シンデレラが履いてみると、ガラスの靴はぴったりと足にはまりました。




 にこー、と満足げに笑う少女と、少し頭を掻く少年。
 春の土曜の昼間の公園、結局二人とも少し顔が赤くなってるのはご愛嬌。


「うーん……もうちょっと、もうちょっとなんですけど、駄目なんですよね」
「いや、靴占いで5回連続で雨っていう時点で惜しいも何もないんじゃないか?」
「はっきり言わないで下さい、酷いですっ」
 
 そして、すぐに機嫌が変わってしまうのもご愛嬌。
 祐一の脳裏に浮かんだ『女心と秋の空』という言葉。――それと同時に、ふと、試してみたくなる。





 ぽーん、と宙を舞った。 






「靴占いの元祖である下駄だと、雨になる確率は約25%だそうです」
 あまりにも役に立たない予備知識だった。
「スニーカーだと、大体10%ってところですね」
 そして下準備だけは万全なようだった。
 けれども、栞の今までの試行における、「雨」と出なかった回数は0。そして、すぐそこに落ちている靴は「晴れ」を表している。それが現実。
「ていっ」
 とりあえず浮いている脛を蹴っておく。クリーンヒット。自業自得。
「つっ……靴で蹴るのは止めてくれ、栞」
 お天気占いには役に立たないが、武器としては役に立つようだった。
 ……そう自分で思ってしまって、栞は少しだけ悲しくなった。



 とりあえず片足飛びをしながら靴を取りに行く祐一の姿を見ながら、ゆっくりと足の振りをつける。
 祐一が「晴れ」を出したのであまり関係はない気もしないでもないけれど、それはそれ。もう意地。


 ターゲットは目の前に。
 悔しさと逆恨みをバネに。
 必要以上に気合いを込めて。必要以上に想いを込めて。大きく足を振りかぶって――


「そんなことする人嫌いですっ!」


 真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに、靴は飛んでいった。



 ――でも、大好きですっ









 だから、ぽちゃんと音がして、直後、水飛沫が上がった。







「噴水の中にコインを投げたらいいことが起きるってよくいうよな」
「えーと、オリジナルはトレビの泉……でしたっけ?」
「いやそれは知らないけど。流石に栞、こういうのは専門か」

 噴水の中心に落下した靴。それを守るように上がる水。自慢気な栞、それとなく現実逃避。
 ……というわけにもいかないので、とりあえず噴水に近づく。
 栞は祐一に掴まって。

「んー、止まってから取りに入るか……」
「ちょっと時間かかりそうですよね……」

 そういうわけで、二人で座る。
 栞は祐一に寄り添って。
 春の土曜。温かい日差しと、遠くから聞こえる人の声。

 ……そして、しばらく時間が経って。

 水が止まる、前兆。
 それを確認すると同時に、靴と靴下を脱いで、祐一が靴を取りに行く。
 水飛沫の高さが下がっていき、上がりきった水が消えて、噴水が一度、止まる。

「あ……」

 その時見えたのは、小さな虹。
 噴水によって出来た、小さな虹が、栞の目に映った。

「ん?」

 祐一が振り返る。
 その手には、濡れた靴。見えたのは……栞の笑顔。








 ――あーした天気になーぁれっ











「……一体どうしたら、そんなにが晴れが出ないのよ」
 今日の出来事の話への、香里の最初のコメントがそれだった。

「私に言われても……」
「ま、モグラ叩き0点も似たような物だしね」
「わ、わーっ! そんな事話題に出さないでっ!」

 まあ、反射神経と運とは相関性がないのだが、ある意味不器用ということで考えれば似たようなものだ。
 騒ぐ栞を横目に、香里は小さく「幸あれ」と呟く。


(それにしても、お天気占い、ね……)

 降水確率100%。
 降水確率100%、といっても約100%であり正確ではない。
 ただ、降水確率は雨が1mm以上降る確率なので、実質的にはほぼ100%といっても差し支えない。

 そしてそれは、少なくとも、靴占いで晴れになったからといって変わる物ではない。
 そもそも試行回数が多すぎる占いは意義としてどうかと思う。


 濡れて履けなくなった靴を持って、祐一と腕を組んで、もとい祐一に掴まって片足で帰ってきた栞の姿を思い出したら、わりとどうでも良くなるのだけれど。

 雪合戦とか。雪だるまとか。
 彼女はそんな遊びを、ずっと望んでいて。
 次の冬まではまだ遠いけれど、やっぱり、それが栞。

 降水確率100%への挑戦も、きっとそんな思いつきなのだろう、そう香里は思った。


「……そういえば、明日せっかくの日曜なのに雨なのね……って何してるの?」
 栞の手に、何か矛盾した物が見える。
「お気に入りの折りたたみ傘だよ? 明日使おうと思って」
 ……思わず苦笑いをした。




 ――あんたたちの会話を聞いてると、奇跡が安っぽいものに思えてくるわ



 ふと、そんな言葉を思い出す。
 それは彼女自身が言った言葉。

 その言葉は本心で、今も変わっていないけれど。
 あの冬のことは、大切な物を取り戻すことが出来て、大切な者を失わずに済んだ奇跡は、存在するのだけれど。



 それでも、「100%の天気予報が外れる」なんて、そんなことを考えるのも悪くない。そう思いながら、彼女はラジオのイヤホンをつけた。

(明日は――)


 綺麗な虹が見えたらいい、そんな思いと一緒に。





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