しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。 しとぴーっちゃーん。



 6月である。 梅雨である。 高温多湿である。
 不快指数は急上昇。 裸体に乾燥剤を繋ぎ合わせた腰蓑のみを纏い、雨雲消滅祈願の暗黒舞踏を行いたい衝動に駆られるほどである。
 よし、やろう。 
 いや、待て俺。
 甘美な誘惑に鋼の自制心を持って堪える。 パンツ一丁まででなんとか耐えた。
 ここ北国より遥かに暑い地域暮らしだった俺ですらこうなのだ。
 ならば、雪積もる真冬の屋外でアイスを食うような完全寒冷地仕様少女にとってはいかほどのストレスになろうか。
 裸体に乾燥剤を繋ぎ合わせた腰蓑のみを纏い、雨雲消滅祈願の暗黒舞踏を行っていても不思議ではない。
 ああ、心配だ。なんて心配なんだ。 よし、今すぐ様子を見に行くしかない。 カメラ持って。

 自分がパンツ一丁だということに気づいたのは、玄関先で名雪が顔を真っ赤にしながら卒倒してのことだった。
 うむ、全部高湿度のせいだ、間違いない。 高湿度恐るべし。
 



 ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷらんらんらん。





「で、相沢君はヒトん家にこっそり不法進入したあげく、何故あろうことかお風呂場なんて素敵な場所にいらっしゃるのかしら」
 にっこり。 香里の微笑みが脊髄に突き刺さる。 冷たい刃先がドリルのように生存本能を抉る。 うっひょー。
「ま、まて。全て誤解だ、小さなすれ違いから起きた悲し思い違いなんだ。 話せば必ずわかる、僕たちはきっと解り合える」
「この状況を作り上げる誤解を説明できるのなら法学部に推薦状を書いてあげてもいいわよ」
 or die. 震えながら拳のカタチをゆっくりと造りだす香里の右手がそう語る。 キャッハー。
「いや、あ、あれだ。 ほら、ぜ、全国的に高温多湿だからさ。 ここに栞がいるんじゃないかと思ってさーアハハー」
 恐る恐る指差した先は。
 
 乾燥機。

「……」
「……」
「……相沢くん、ほかに言い残すことは?」
「な、なんだよ! なんで半身引いてまで正拳に加速つけようとしてるんだよ! いたらどうするんだよ! 本当にいたら謝れよ!?」
「私に乾燥機内で梅雨を過ごす妹はいないわ」
 あっさり切り捨てると、上半身を歪なほどに捻る。 ボウガンの、いやバリスタの弦を限界まで引き絞るような捻転。
「な、ななななんだとこの! し、栞を舐めるなよ!? あいつってば、この前甘さ控えめが売りのアイスに練乳かけてたほどに目的の為に手段を選ばないんだぞ!?」
「あんまりあの子に外で甘いもの食べさせるなって言ったわよね」
「え、園児扱いかよ! つーか趣旨違うし!」
 最大限まで捻られていたと思えたバリスタが、まだ、引き、絞られて、いく。 ヤクいぜ!
「い、いるんだ! 栞はここに絶対にいるんだ! ラピュタは本当にあるんだ!」
 半泣きで、意味不明な叫びをあげて、俺は自分の命を、生への一縷の望みを、栞の非常識に全額BETする。 
 乾燥機の扉を開けた。

 
 そこにある物体を見た瞬間、俺の恐怖は霧散した。


 黒が、視界を染めた。
 虚無の深遠。 始まりと終わりの色。 あらゆる感情を塗りつぶす黒。
 レースの黒。 ふりふりの大人パンチー。プァンティ ポァントゥェィ。
 誰の物か。誰のものなのか。

 姉のモノ? エロいエロいエロいエロい結婚してかおりん!
 妹のモノ? ちょっと背伸びの大人の味はほろ苦くて結婚してしおりん!
 母のモノ? 美坂さんちのおかーさんも若くて綺麗だからぜんぜんOK結婚してママン!

 ああ、どれをとっても正解でないか。 ハレルヤ! ハレルヤ!

 理性は恐怖によって塗りつぶされ、恐怖は本能的な歓喜によって塗りつぶされる。

 だから。
 俺は。
 本能に従って。
 至極当然に。
 とりあえず。

 被った。





 ぴるぴるぴ〜ぴるぴるぴ〜。



「…さっきの雨音のようで微妙に違うあの音はなんだったんでしょう」
「きっと俺の血の雨の降る音じゃないか」
 独り言のつもりだったのだろう、慌てて振り返る栞。
 ぷにょ。 警戒心の足りぬ娘の頬に突き刺さる我が一指券。イヤッハー大・成・功!
 脳内でスロー再生、しかも中国映画のように三方向からの映像を繰り返す。 俺カッコイイ!
「祐一、さん? どうしたんですかその顔の大きな青痣」
 渾身の一撃に、ノーリアクションは辛かった。青痣すら赤く染めるほど赤面。
「いや、親父さんのだったんでこの程度で助かったってわけだ。 鼻血の雨は降ったがな」
 なんかもう最後の願いを呟きながら消え去りたいくらいの羞恥心を堪えながらなんとか答える。
「何を言っているのかよくわかりませんが、助かったのなら良かったです」
 そういうと栞はうれしそうにアイスを口に運ぶ。
「…で、お前は何やってるんだ」
「? 見てのとおりアイスを食べているのですが」
「それは見ればわかる」
「じゃあ聞かないでください」
 つーん、と気を悪くする栞。 いかん、俺は今本当に18歳以上の女子と会話しているのだろうか。 むしろ地球内生命体との会話が為せているのであろうか。
 珪素生物の擬態すらも疑いながら、それでもコミ、コミュ、コミニュ、  …コミニケーションを取ろうとする理知的な俺。
「俺が聞きたいのは、なんで学校の中庭かということだ」
「ここ、好きなんです」
 答えながらもなおもアイスを口に運ぶ。 ズビズバーと。
「…擬音に違和感はないか?」
「ないですよ」
 確信犯かい。 
 ズビズバー。 それは限りなく液体に近い食物を啜るとき、混ざった空気が奏でる美しき擬音。 ゆえに。
「このざーざー降りの雨の中、自分の意思で傘も差さずにアイスを食っているのかこのアホっ娘は」
「あほっことか一見可愛くて喜んでしまいそうなこといわないでください。 これには深いわけがあるんですよ」
 と、もう一口ズビズバると。
「ほら、食べても食べても減らないんですよアイスが!」
 どっぷどっぷと、減るどころか溢れ続ける魔法のアイスカップ!
「おまえかわいいな」
 可能な限り平坦な声で、虫でも食いそうな空ろな目をしながら惜しみない賞賛を送る。
 とても文句ありそうな視線を投げられた。 良かった、まだ皮肉が通じるんだ。 よかった、本当によかった!。グラッチェ! グラッチェって意味わかんないけど!

 じー。 

 安堵する俺をじっと非難の視線で見つめる栞。 
 テンション上げてるときに冷静に返されるのは恥ずかしいって言ってるのに、もう、もうっ!
 羞恥心に耐えられず、思わず目を逸らした。
 
 濡れそぼった服のがぴっちり張り付く、胸に逸らしてみた。
 
 すぐに胸から視線を逸らす。逸らさずにはいられない。
 あまりにも、見るところが無さすぎた。 かわいそうなぐらい無かった。 ありえないぐらい無かった。
 nが2より大きい自然数である場合の,x^n+y^n=z^nとなる整数x,y,zの組ぐらい無かった。 

【証明】

 ∵lim π^2→0 

 ∵π^2≒0   

 ∴f(π^2)'

【Q.E.D】


 いかん、よくわからない数式が脳裏に浮かんだ。
 意味がわからないのに、なぜこんなに可哀相な数式なんだろう。 必死に涙を堪える。
 駄目だ、耐えられない。 女の子の胸見て同情の涙なんて、最悪だ! 洒落で済まない胸の持ち主の場合は特に!
 どうにかするんだ! 考えろ、俺!
「で、どこ見てるんですか祐一さん」
「俺さ、本当にさ、栞が黒いスカート履いてて良かったと思うよ。全身全霊で」
「会話してください。 どこ凝視してやがってるんですか祐一さん」
 もちろん、涙に潤みきった瞳を癒す優しい場所。
 濡れそぼった黒い布がぴったりと張り付いた栞のお尻。
 非難の投石がコメカミに直撃しても、俺の笑顔は絶えることが無かった。
 栞大好き!
 お尻大好き!

 


 ざざんざんざざーんざざんざんざざーん。




 スキンシップを図っていたら、どしゃ降りになってきた。
 潮時、か。
「…なんにしろそのままじゃ風邪引くぞ? さっさと帰ろーや」
 傘を頭上に翳し起立を促すが、抵抗にあう。
「祐一さんは私からこの無限アイス阿鼻叫喚地獄を奪うつもりなんですか!?」
「地獄じゃ駄目だろ。 あと百歩譲ったとしても乳成分が最早氷菓の域まで下がってるだろーが」
「えー? なんですかー? 雨音でぜんっぜん聞こえませんよ!?」
 はふーとため息をつく。
 ああ、もう、わかったよ。認めるよ。認めてやるよこんちくしょー。
「…雨降っててだるいから今日のデートはやめようなんて言ってすみませんでした。前面的に俺が悪かったから帰りましょう栞さん」
「そんなことぜんっぜんこれっぽっちも気にしてませんよーだ! というか何のことやらさっぱりです!」
 あー、もう、付き合い長いからといって拗ね方ばかり巧くなりやがってこの娘。 しょうがないのでさっさと切り札を切る。
「時にお嬢さん、百花屋のパフェー殿が貴女を呼んでいましたがよろしいのでしょうか?」
「…特大激甘バケツパフェ様のご指名でしょうか?」
 通称・糖尿病パフェ。 定価2415円税込。
 ああ、もう、なんて切り返しをするかこの娘。 嫌な成長をしおって。
 財布の中身を確認。 絶望感に身を攀じる
「祐一さーん、彼を待たせては失礼にあたりますよー、ハリーハリーハリーアーーーップ!」
「って人が目を逸らしてる隙にもう校門の外かよ!」
 交渉の余地も与えぬ早業。 そもそも交渉しないという壮絶高度な交渉術にどうやらこの勝負、積みのようだクソッタレ。

 …まぁいいんだけどさ。でもさ、ちょっとぐらい俺の言い分くらい聞いてくれてもいいだろーよ。
 雨の日ぐらい我慢して焦れてたほうが、後の晴れの日に新鮮さもあるというに。
 毎回毎回こんなんじゃいつかマンネリ化するって危機感もってるのは俺の方だけだ。
 …ああ、もう、くそっ。
 なんだかんだで我慢できなくて様子見に来た俺の言う台詞じゃないことぐらいわかってるよ。
 ため息をつきながらも、自然と頬が緩む自分が恨めしい。
「早くこないとパフェと浮気しちゃいますよー!」
「わかったから少しは落ち着けーっ! 足踏みするなー! 恥ずかしいからーっ!」

 まぁ、なんだ。 なにはともあれ元気なのは嬉しいのだった。 心の底から。

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