冬が終わりを告げ始めた季節、うららかな光が溢れる教室で、少女はいつものように彫刻刀を手にしていた。
 削り取られた切り屑が、ひらひらと机の上へと落ちていく。
 微かな音を立てて積もったそれらは、これから訪れる季節を象徴する花びらにも似て、どこか優しい。
 教室には少女一人きり。
 彫刻刀が木片を削る音、落ちた切り屑が机の上に着地する音、それだけがひっそりと囁かれている。
 長い髪を大きなリボンで緩く束ね、少女は真剣な眼差しで木片と向き合っている。
 少女――伊吹風子は、ゆっくりと彫刻刀をふるう。
 やわらかな沈黙が支配する教室で。
 それは春の訪れを待つ植物にも似た静けさだった。
 よく出来た絵画のように完成された景色で、風子は黙々と手を動かす。
 この静けさが、風子はキライではなかった。
 元々集中力は高いので、ある程度雑多な環境でも順応できるのだが、やはり彫刻をする時には静かな方が望ましい、と風子自身が思うからだ。
 
「マテェェェェェッ!!」
「ギャァァァァァァッ!!」
「この野郎、今日という今日は勘弁ならねぇ!!」
「僕は無罪だーッ!!」

 突如廊下から響いた怒声と悲鳴と激しい靴音が、ヴェールのような沈黙を一瞬で引き裂く。
 それでも変わらぬスピードで、風子は彫刻刀をふるう。
 これだけの騒ぎをなかったことに出来る集中力というのは、たしかに並ではない。
 徐々に近づいてくる靴音、音量を増す怒声、そして甲高くなっていった悲鳴が途切れる。
 
「くそっ、何処に逃げやがった!?」
「あっちじゃねぇか!?」
「行くぞ!!」
 
 野太い声が風子のいる教室の前を通り過ぎ、重そうな足音も遠くなっていく。
 それらが完全に聞こえなくなった頃、「助かったぁ」と情けない台詞を吐きながら、ホコリまみれの春原陽平が起き上がった。
 どうやら教室にスライディングルタックルの要領で入ってきた挙句に身動きして音を立てるのを警戒してか、床に這いつくばっていたらしい。
「はぁ〜しつこいったらないね。なんで僕がこんな目に……」
 ぶつぶつ呟きながら、春原は黙々と彫刻を続ける風子の前まで来ると、椅子を引いて腰掛けた。
 どこか怠惰な表情で、彫り続ける風子を眺める。
 しばし眉間に皺を寄せていたが、二回三回と首をひねった後、春原は風子の手から彫りかけの木片を抜き取った。
「わっ! いきなり消えました!」
「ねぇこれって……新しい手裏剣?」
 風子の悲鳴と、春原の問いはほぼ同時だった。
 木片を失いうろたえた風子はゆっくりと顔を上げ、そこで大きな瞳を極限まで見開いた。
「ああっ! ヘンな頭の人がいますっ!」
「って今気付いたのかよ! っていうか僕いまだにヘンな頭呼ばわりなんですかっ!? 知り合って既に三ヶ月は経過してますよねぇ!? だいたい、友達になろうって言ってきたのは風子ちゃんの方でしょうが!」
「じゃあ、ぷちヘンな頭の人ですっ!」
「ぷちつければいいってもんじゃないでしょ!」
「ヘンな頭の人は贅沢です! 生意気だと思います! 人間として問題ありです!」
「それが友達に言う言葉かぁぁ!!」
「友達だからこそ、風子心を鬼にして真実を告げています。風子の優しさです!」
 きっぱり言い切った風子に、春原は金髪をがしがしと掻き回すとため息と共に座りなおした。
「はぁ……ま、いいか。今更だし」
「納得が得られて良かったです」
「いや、納得したわけじゃないけどね……」
 脱力しながら春原は、手にした彫りかけと思われる木片をひらひらと振った。
「で、風子ちゃんはなんで放課後ひとりで、手裏剣彫ってるわけ? 友達増やそうキャンペーンは、成功したじゃん」
 三ヶ月前、出会った頃の風子は会う人会う人に自分の手による彫刻を差し出して、友達を増やしていた。
 本来なら春原と同じ三年の風子は、事故のため再び一年生からやり直している最中で、何故か友達100人作ると言う小学生の入学式で流れる歌のような野望を胸に抱いていたのだ。
 友達一号に選ばれてしまった岡崎朋也、古河渚と共に、春原は何故か風子の野望に協力することになっていた。普段だったら避けて通るような面倒な作業だったが、不思議とイヤではなかった。四人で行動するのは初めての筈なのに楽しくて、どこか懐かしさすらあった。
 だが、既にそのキャンペーンは無事成功を収め、副産物として風子親衛隊なるものまで出来ているのだが……。
 何故、また彫刻に精を出しているのか、春原には分からない。
 とりあえず、手にした木片は以前の星型ではなくもっと丸っこいので、ヒトデでないことだけは確かなのだが。
「手裏剣じゃないです!」
 風子はぷぅっと頬を膨らませると、机に片手をついた体勢で春原に手を伸ばす。
 拙い手つきで木片を奪い返そうとする様子は、周りが見えない子供を思わせる。
 腕を上げてしまえば身長差からいって届かなくなることは明らかだったけれど、意地悪をするにはあまりに真剣な様子だったので気が引けて、春原は風子の手のひらにぽん、と木片を返した。
 しっかりと木片を抱きしめて、風子は真っ直ぐに春原を見る。
「これはっ、プレゼントです!」
「プレゼント……の彫刻?」
「そうです。だから、風子が好きなものではなくて、相手が好きなものを彫っているんです」
「で、それって……な」
「だから、邪魔しないでください」
 何?
 という春原の台詞は風子のギロチン並みにすっぱりした言葉で切り落とされ、なかったことにされた。
 風子は再び木片に向かって、黙々と彫刻刀を動かし始める。
 春原は何をするでもなく、ただその様子を眺めていた。
 風子の手つきはお世辞にも器用とはいえず、春原が覚えている限りでもかなりの数を彫っているはずなのに、どこか危なっかしい。ただ、その削られた薄い切り屑が、はらはらと散るさまは、風子の手つきとは裏腹に優美ですらあった。
 徐々に形作られる、風子のプレゼント。
 どうやらそれは、円と言うより球を目指しているらしい。
 どちらかというと平面的な作業が多いヒトデに比べ、球形のプレゼントは安定感がなく難しいように思えた。
 風子もそれは感じているのだろう、眉根を寄せて唇を真一文字に引き絞り真剣に作業に取り組んでいる。
 春原は、机に片肘をつくとひとつあくびをした。
 窓の外は薄い青と紫が混じり始めている。
 ひと筋の雲が、空の境界線を示すように白く浮いていた。
 
 
 

ゆびきりげんまん


 
 
 それは、一瞬の出来事だった。
 いつのまにか空は茜に染まり、窓から差し込む光だけでは手元が危ういことに風子がようやく気付いた時刻。
 彫刻刀の刃先がすべり、木片を通過して支えていた風子の手へと向かう。力を込めていただけに、ざっくり行くことは確実なコースだった。
「ッ!」
 目を閉じてしまった風子だが、結局悲鳴は上げなかった。
 いや、あげる必要がなかった。
 予想していた痛みが、なかったのだから。
「あっぶないなぁ」
 春原の手が、風子の手ごと、彫刻刀を押さえていた。
 彼がいることすら意識から抜け落ちていた風子は、ぱちぱちと瞬きをする。
「持ち方、変えたほうがいいんじゃない? 怪我するよ」
 呆れたようにそう言って、春原は彫刻刀から、それを握っている風子から、手を離す。
 夕焼けの教室。
 白いカーテンも、机も椅子も棚も、壁も床も黒板まで全部、茜の色を帯びていた。
 春原の髪が、赤みを帯びて輝いている。
 彫刻刀を止めてくれた手もまた茜の光に染められていて、その指先に浮いた赤がひときわ鮮やかで。
「ケガ、してます!」
「え?」
 風子はがしっと春原の手を掴んだ。
 先程彫刻刀を押さえた時に負った傷だろう、指先にはぽっちりと血の珠が浮いていた。
「ひぃぃっ! 血が出てるっ!」
 顔面を引きつらせて叫ぶ春原。
「うるさいです! 大したケガじゃありません!」
「それって、風子ちゃんの台詞じゃないよねぇ!?」
「それっぽっちのケガで悲鳴上げるからです!」
 風子はポケットからハンカチを取り出すと、春原の指先を押さえた。
「これ、もっててください」
「あ、ああ」
 春原にハンカチを渡して、自分の鞄から絆創膏を取り出す。姉の公子がケガの絶えない妹を気遣って、大量に持たせてくれているのが役に立った。
「手、出してください」
 ハンカチを取り去り、赤く線を描く指先に絆創膏を貼り付ける。
「これで、もう大丈夫です」
 胸を張って宣言すると、春原は自分の指先と風子を交互に眺めて引きつった笑みを浮かべた。
「これ、絆創膏だよね……なんで、ヒトデ模様なの?」
「可愛いからです! 大奮発です!」
「ふ、奮発なのか……う、うん、ありがとう」
「はい」
 春原の指先、ヒトデが踊っている。
 赤くて、星型で、つんつんしていて、やわらかな曲線も持っていて。
「ほんと、可愛いです……」
 霞がかる意識。
 ヒトデ、可愛いヒトデ、素晴らしきヒトデ、ヒトデ万歳!
 ヒトデ一色に風子のインナーワールドが染められていき……。
 彼女は、いつものように夢の世界へと旅立った。
 
 
 
「風子ちゃん? おーいっ!」
 目の前で呼びかけてみたが、返ってきたのは沈黙とうっとりした遠い眼差しのみだった。
「わ、また逝っちゃったよ」
 春原は苦笑して、椅子に座りなおす。
 こうなった風子が長いのは、経験上承知している。
 ふと机の上に目をやると、意識がヒトデに飛んだときに落としたのだろう、風子のハンカチが頼りなげに広がっていた。持ち上げると、水色の生地に一点だけ赤い染みがついている。
「ハンカチ汚しちゃったね。これって洗えば落ちるのかな?」
「…………」
「そのままでいい? ってそういうわけにもいかないか。岡崎のなら放置でいいけど」
「…………」
「それじゃ、洗って返すよ」
「…………」
「まだ、戻ってこないかな?」
 風子は変わらず、ぽーっとしているようだ。
 春原はハンカチを丁寧に畳むと、自分のポケットに突っ込んだ。
 元々小動物みたいな印象が強い風子だが、こうして気の抜けた顔をしているとますます小学生じみて見える。
「でも、風子ちゃんてさ、不思議だよね」
 初対面で、木彫りを差し出して「友達になってください」と告げた女の子。
「風子って名前……そんな知り合い、風子ちゃん以外にいないのに、なんでだろう」
 ヘンな木彫り。
 星型のそれは、手裏剣みたいだと思ったのに、なぜかヒトデだと知っていた。
「……名前を聞いたとき、すごく大事な気がしたんだ。忘れちゃいけない、忘れたくない名前だって」
 痛みにも似た、強い思い。
 そんなもの、初対面の女の子相手に、感じる筈がないのに。
「ははっ……自分でもよくわからないや。だけど」
 春原は、手を伸ばした。
 ゆっくりと、指先が風子の頬にふれる。
 子供のようにすべすべした、やわらかな感触。
「だけ、ど……」
 風子はぎゅっと目を閉じている。
 春原は、風子のほっぺたを両手で真横に引っ張った。
「いやぁ、よく伸びるねぇ」
「にゃ、にゃにふるんでふかっ!」
 ブンブン腕を振り回す風子。
 春原は、ニヤニヤ笑いながら餅みたいなほっぺたを解放する。風子は逆毛を立てた猫の勢いで頬に自分の両手を当てた。
「風子の美貌に傷がついたらどうするんですっ!」
「だって、風子ちゃん、さっきわざと黙ってたでしょ」
「そ……そんなことはありません!」
「嘘吐きは泥棒の始まりらしいよ?」
「ふ、風子は嘘なんかつきません! その、ちょこっと返事をするタイミングが遅くなっただけです!」
「やっぱり聞いてたんだ」
「し、しりませんっ!!」
 ぶんっと首を振る風子。
 ほっぺたが赤くなっているように見えるのは、夕焼けのためか、春原が引っ張ったせいか、もうひとつ別の理由があるのか。
 春原は目を細めると、今度はどこかやわらかい微笑を浮かべた。
「それじゃ、そろそろ帰ろっか。遅くなると、またお姉さんが心配するでしょ? もう、日が暮れてるしさ」
「そうですね……おねぇちゃん心配性ですから」
 少しだけ大人びた瞳で笑って、風子は素直に頷いた。
 
 
 
 黄昏の、帰り道。
 足元で伸びる影。
 どこか懐かしいような、昔から変わらない、そんな色の空。
 風子は、春原と肩を並べて歩いていた。
 さっきまで軽口を叩き合っていたのだが、春原は何か考えているのか無言になっている。
 黙って空を見上げる横顔は、普段の情けない印象と裏腹に、風子がちょっと羨ましく思うくらい綺麗だ。
 やわらかそうな金髪が、黄昏の光にそよいでいる。
 愁いを帯びた眼差しからは、普段の馬鹿丸出しな様子など想像できない。
 女の子みたいな顔立ちでも、鞄を持つ手は大きくて風子の手をすっぽり包めてしまう。
 さっき、彫刻刀ごと風子の手を押さえてくれた長い指。
 ……男の人みたいだ、と思った。
 いや、春原の性別が男であることくらい、風子にだって分かっていたのだけれど。
 無意識にぎゅっと彫刻を抱えなおすと、それに気付いたのか春原が小首をかしげた。
「そういえばさ、プレゼントって……あれ、やっぱりダンゴ? 渚ちゃんにプレゼントとか?」
 風子は大きな瞳を、さらに限界近くまで見開く。
「ど、どうして分かったんですかっ!? 実はエスパーですねっ!?」
「……いや、あんなまるっこいの好きなのっていったら、渚ちゃんくらいしかいないし」
「ふ、不覚ですっ!」
 どうしてばれたのだろう。
 まだ、シルエットだけしか分からないはずなのに。
 やはり、溢れる才能のなせる業でしょうか、などと考えていた風子の隣、春原が不思議そうに言葉を継いだ。
「だけど、誕生日は過ぎたし……クリスマスも終わってるし、なんのプレゼントなの?」
「知りたいですか?」
「あ、そりゃまぁ、気になる、かな」
「どうしても知りたいですね?」
「い? あ、うん」
 何故か春原は引きつったような顔をしていたが、風子はもったいぶって息を吐いた。
「……仕方ありません。特別に教えてあげましょう。喜んでください」
「あ、ああ、嬉しいな」
「これは、渚さんの、卒業祝いです」
 胸を張ってそう告げると、春原はなぜかぽかん、と口をあけた。
「卒業祝いのプレゼントですっ!」
 強調するように重ねて言う。
 ゆっくりと、春原の瞳が細められる。
「ああ、そっか……卒業、祝いか」
 優しい笑顔。
 春原は、眩しそうに風子を見ていた。
「うん、いいね。きっと喜ぶよ、渚ちゃん」
「喜んでくれるでしょうか?」
「絶対、喜ぶよ」
「そうだと、嬉しいです」
 笑った風子の頭に、ぽん、と大きな手のひらが乗る。
 普段朋也が、渚や風子相手にする仕草。
「卒業、か……」
 風子の頭に手を添えたまま、春原が上を見上げて呟く。
 視線の先には、硬く節ばった木の枝。
 春を象徴する儚くも絢爛な薄紅の花は、まだ蕾すらつけていないけれど。
「その頃には、桜、咲いてますか?」
「どうだったかな。入学式の頃には咲いてると思うんだけど。新入生も入ってくるし、また友達増えるよ、きっと」
「そうですか。風子、桜が咲いたら是非お花見がしたいです」
 坂道の両側から、春風にあおられ花びらが降りそそぐ景色。
 風子がいずれ迎える新しい季節、渚も朋也も、そして今隣に立っている春原もこの学校からいなくなってしまう。
 流れる時間には、誰も抗えない。
 それを、風子はちゃんと知っていた。
「春原さんは、卒業したらどうするんです?」
「え、僕?」
 視線を下げた春原に、風子は目を合わせて尋ねる。
「はい。岡崎さんみたいに就職ですか?」
「そうだね……親には地元に帰って働けって言われてたんだけど」
「え!? 地元に帰るって、この町を出るんですか!?」
「うん、最初はそうするつもりでいたし、帰省したときに親の紹介で面接も受けたんだけどうまくいかなくてね。今はこの町で仕事を探そうって思ってる」
 びっくりして、一瞬早くなった鼓動が落ち着く。風子は無意識に肩に入れていた力を抜くと、小首をかしげた。
「ええと、つまり、地元で落ちたからこっちで職探しってコトですか?」
「……言いにくいこと、はっきり言うよね」
「人生相談に最適とご近所でも評判の風子ですから!」
「へ、へえ……」
「でも、紹介があったのなら、普通受かるのでは? そんなに面接ダメだったんですか?」
「ははは……うっかりこの頭で行っちゃってさ、ヒヨコはいらんわーって怒鳴られて終わったよ」
「ひよこ! 名言ですっ!」
 確かに春原の金髪頭はひよこに似ている。
 しかも、物事を適当にしかおぼえない鳥頭なところまで適切に表している。
 風子は木彫りを抱きしめて、輝く眼差しを春原の頭に向ける。
「ってそこに感動しないでくれませんかねぇ!」
「風子もヘンな頭の人から、ひよこ頭の人に呼び名を変えようかと思うくらい素晴らしいです!」
「いや、どっちも微妙だから、それ……っていうか、二択決定?」
「ヘンな頭、ひよこ頭……悩みますっ!」
「そんな呼び名になったら、いつまでも黒く戻せないでしょ!?」
 叫んだ春原に、風子は真剣な表情で口を開いた。
「そうしたら、ずっとこの町にいますか?」
「……さっき、言ったよ。この町で仕事を探すつもりだって」
 静かに。
 金色の雲が流れる空の下。
 同じ色の髪を揺らして、春原が風子を見つめていた。
「じゃあ、卒業しても、また会えますね!」
 自分でもびっくりするくらい弾んだ声が出た。
 ただ、嬉しかった。
 些細なやり取りが、この先の季節も続けられる。学校という共通の場所を失っても、会うことが出来る。そんな、他愛もないコトが。
「そしたら、みんなでお花見しましょう! 風子是非やりたいです!」
「お花見って……え? 学校の友達とじゃなくって? 僕と渚ちゃんと風子ちゃんで?」
「岡崎さんもです!」
「えー岡崎も!? まぁしょうがないか」
「わかりました、では風子と渚さんと岡崎さんの三人でやります」
「僕が抜きですか!?」
「冗談です」
 日が暮れて夜になってまた朝が来て。
 繰り返される営み、流れる時間、同じようで少しずつ変化している毎日。
 でも、変わりゆく中で、変わらないものがある。
 繋ぎとめるもの、何度も結びなおされる絆、未来の約束。
「一緒にお花見、約束です!」
 差し出した小指。
 春原は驚いたように目をしばたたいて、それから大きく頷いた。
「ゆーびきり、げんまん」
 長く伸びた二人の影が、小指と小指を絡めていた。
 真面目ぶった表情で、二人声を揃えて呪文を唱えた。
「ウソついたら針千本のーます」
 子供みたいに真剣に。
 つたない口約束を、真実に昇華させて。
「指きった!」
 離れる小指。
 風子は、ゆっくりと微笑む。
「では、帰りましょう」
「うん、途中まで送ってくよ」
「そうですか、風子はレディですからその申し出を受けます」
「……いや、まぁ、性別は間違ってないけどさ」
「なんだか失礼なコトを言われている気がします!」
「……気のせいだよ、きっと」
 離れたって、大丈夫。
 きっと彼は忘れない。
 忘れたって、思い出してくれる。
 一番大事なことは、決して消えたりしないのだから。
 
 
 
 金色の残照も消え、紫紺の夕闇が風子と春原を包む。
 夜風は冷たくて、冬の粒子をそこかしこに残していたけれど、気にならなかった。
 まるい、ダンゴのような月が照らす道を少年と少女は歩く。
 手を繋ぐわけでも、寄り添うわけでもない。
 言葉を交し、笑いあい、或いはただ静かに歩を進める。
 互いの胸に、消えない約束をしっかりと抱きしめて。
 
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